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2019.04.23(最終更新日:2020.03.23) Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

Vol.4 アラブの男

 飛行機の窓の外にはアラビア半島の荒涼とした大地が広がっていた。
そこには木一本生えておらず岩肌を剥き出しにした山があり、乾ききった砂漠があった。
自然環境の厳しさを知るには十分な景色だった。
 私はバンコクの居心地の良さに絡め捕られる前に、イエメン共和国行きを決め、実行に移した。初めてイエメンの首都、サナアの旧市街の写真を目にしたのはいつだっただろうか?
窓枠の白いペイントと赤みを帯びた日干し煉瓦のコントラストが美しい街並みで、長い歴史を感じさせ、かつ手作業で建設された温かみを感じさせた。私はその写真を見た時、これは是非いつか実際に見に行かねばなるまいと思った。
イエメンは治安情勢が不安定で、外国人を標的としたテロ事件もよく起きている。治安に関する不安が無い訳ではなかった。治安の問題とは別にビザの問題もあった。日本国籍を有しない私はビザの情報がなかなか入ってこない。バンコクでイエメンの大使館に出向き、係官に書類を見せてもらう事でようやく、空港にてアライバルビザ(到着時に取得できるビザ)の取得が可能である事が分かったのだ。ビザの問題に目処がつき、ある程度の治安の悪さに腹をくくった後、カオサン近くの旅行代理店でサナア行きの格安航空券を手に入れた。
その航空券はこういうものだった。往路はドバイ経由のサナア行き、復路はバンコクへ ではなく、バーレーン経由のデリー行きである。私には、極力陸路で旅をして、土地を移動するにつれて景色や文化といったものも変化してゆくのを体感したいという希望があった。それゆえ、アラビア半島の南端というなかなかルートに組み込みにくいイエメンを、ユーラシア横断のスタート前に訪れてしまう事にしたのだ。
 機内で一晩を費やし、サナアに到着したのは午前中だった。60ドルでアライバルビザを取得し、銀行で20ドルを現地通貨のリエルに両替した。入国審査も何ら問題なかった。
しかし、搭乗の際に預けたはずの荷物がなかなか出て来ない。貴重品は当然機内に持ち込んでいるのだが、衣類等は大きなリュックに仕舞ったまま預けたのである。これはいよいよ噂のロストバゲージだなと思い、空港職員に荷物が紛失した旨を告げた。正直なところ、旅も序盤の段階で荷物の大半がなくなってしまった訳だから気が気ではなかったが、何とか自分を落ち着けようと努めた。対応に当たってくれた職員は、そんな私の焦りや不安に気付いてか、「問題ない、心配するな、明日には届く」と自信を持って慰めてくれた。彼が言うには、私をバンコクからサナアまで運んでくれたキャリアは信頼のおける会社で、荷物を失くす事はまずなく、大方ドバイで積み忘れたんだろうとの事だった。空港で明日まで届くかどうかも分からない荷物を待つ訳にもいかず、落ち込んだ気分ではあったが取り敢えず街に出て宿に泊まる事にした。
右も左も分からず(実際、空港前の大通りもどちら向きに行けば街の中心へ辿り着くのか見当もつかなかった)まごまごしていると、初老のおじさんが話し掛けてきた。
私が街の中心に出たいと伝えると、「途中までは一緒だから」と親切にも同行してくれた。
ダッバーブ(これまた乗り合いタクシーのような公共交通機関)に乗った後 会話を交わしてみると、気象等の自然現象を研究している学者で、「この国で困った事があればここに連絡しなさい」と名刺をくれた。以前シリアを旅した時にも感じたのだが、アラブの男達は本当に親切なのである。時には無骨に、時には無邪気に、その優しさを旅人である我々に示してくれるのだ。私はその親切な学者のおじさんに丁重に礼を述べ、別れを告げて、一人で街の広場へ降り立った。
 イエメンの伝統的な服装をしている男達は、腰にジャンビーアと呼ばれる短刀を佩いている。もちろん現代的な洋装をしている者もいるのだが、伝統的な衣装をまとっている者も多い。

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