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2019.04.23(最終更新日:2020.03.23) Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

Vol.6 インドへの誘い

 「オーーーム」と鼻から息を抜きつつ発声して、ヨガの講義は終了した。
私はインド北部のガンガー沿いの聖地、リシュケーシュにいて、ヨガを体験していた。
かつてはビートルズもここでヨガの修行をしたほど、ヨガで世界的に知られた町である。
ガンガー沿いにヒンドゥー寺院やアシュラム(道場)がいくつかあり、山間の小さな町といった風情だが、多くのヒンドゥー教徒や外国人旅行者を集めている。
ガンガーの流れは中流域のバラナシで見るような濁った水ではなく、さすがに上流だけあって澄んだ水を湛えている。流れも幾分速い。デリーから来てみると、のどかそのものである。
 サナアを出発し、バーレーン経由でインドの首都デリーに到着したのは数日前。
その埃と喧騒、暑さから逃れるように慌しくデリーを後にし、リシュケーシュにやって来た。
機内では中東の浅黒い肌をした男達の中に東洋人一人という寂しいシチュエーションでは
あったが、キャビンアテンダントに私と国籍を同じくする者がおり、英語で会話することで無聊を慰めてくれた。母国語を話せないことを情けなくも思ったが、彼女はそのことを咎め立てするようなことはなかった。彼女にしても、遠く祖国を離れ、文化の異なる地で一人
勤務していると寂しさを感じるのかもしれない。ささやかな交流ではあったが、私の心を温かいものにしてくれた。
 デリーに到着したのは朝の6時半頃だった。
「シートベルト着用のサインが消えるまでお座席にてお待ち下さい」というお決まりのアナウンスなど周りのインド人には耳に入らないらしく、飛行機がゆっくり動いているうちから彼らは立ち上がり、荷物棚を開けてしまう。キャビンアテンダントが可哀相になるくらい、言う事を聞かない。日本人は本当に行儀がいいなと思いもし、またこれから彼らの国を旅せねばならないのだなと覚悟を新たにしたのであった。
 インドはこれで3回目である。私にとってはかなり魅力的、そして刺激的な国だ。
この国を初めて訪れたのは2001年春だった。大学の卒業旅行としてインド・ネパールを旅したのだった。何故インド・ネパールを選んだのかといえば、刺激を求めていたのと、旅行費用を安く上げられるからだったと思う。で、確かに刺激的だった。安かった。
極彩色のヒンドゥーの神々、手で食べるカレー、タージマハルの美しさ、ガンガーの流れや火葬、暑さ、長時間の電車移動と車窓からの田園風景、リクシャワーラーとの交渉、バクシーシを求める乞食やあくどいインド人達、本当はそれにヒマラヤの神々しい姿を付け加えたいところだったが、あいにくの天候で目にすることは出来なかった。旅行費用にしても、40日間強旅して航空券込みで15万円ほどだった。
「インドに行って人生観が変わった。」よく言われることではあるが、あながち大げさな話ではないかもしれない。私の場合そこまでではなかったにしても、日本では決して出来ない体験をたくさん経験したということは出来るだろう。ただしそういう風に思えたのはインドを出国してからである。旅行中は何度も騙され、交渉に疲れ、ハシシやマリファナの売人をあしらい続け、暑さと埃にやられ、早く日本に帰りたいとさえ思っていた。何故インドなんか旅してるのだろうと。しかし帰国便がデリーの空港を離陸した瞬間、安堵したのと同時にまたいつかインドの土を踏みたいという想いが私の胸に去来した。不思議な感覚だった。
そしてインドが再び私を懐深く受け入れてくれることも確信していた・・・。
 デリーの空港は悪名高い。インドに到着してすぐの右も左も分からないいたいけな旅行者をインチキ旅行代理店に連れ込み、法外な値段でツアーを組ませるという手口が横行している。

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