2019.06.26(最終更新日:2020.06.29)
Vol.8 デリー、ヴァラナシを駆け抜ける
デリーに戻った私は、過去2回とも休みで見学できなかったラール・キラーに行ってみた。3度目の正直で今度は開いていたが、ここでも入場料に外国人料金が適用されていた。インド人の入場料は20ルピーであるのに対し、我々外国人は250ルピーものお金を払わなければならない。250ルピー払って見学はしたが、以前見たアグラ城とたいした違いはなく、あまり感動はしなかった。それでも、宿に帰るまで歩いたオールドデリーの街は良かった。建物などの印象が残っている訳ではない。その雑然とした感じ、エネルギッシュな感じがすごく良かったのだ。多くの道が入り組んでいて、たくさんの人々が行き交っている。買い物に出掛けたり、お祈りに出掛けたりしているのだろう。店舗も勿論たくさんあるし、路上でも商いをしている。ジャマー・マスジッドにも多くの参拝客がいた。チャンドニー・チョウクという目抜き通りを歩き、ジャマー・マスジッドに寄って、アジメリー門の脇を通ってニューデリー駅の裏側に出たはずである。あまりに道が入り組んでいるので、実際どのように歩いたのかは判然としない。
コーラを飲みながら、売買をして熱気を帯びた通りを歩き、イスラムの帽子を被ったお爺さん達の脇をすり抜け、ターバンを巻いた屈強そうなシク教徒の男にぶつかり、華やかな色をしたサリーをまとった女達の不躾な視線を感じ、思いのままに歩いた。少し陰惨で、少し危険を孕んでいる様な、これぞアジア的熱気という雰囲気溢れた界隈を散歩していると、心がわくわくしてくる。旅に出た幸せを噛み締める時だ。観光名所も嫌いではないが、何と言っても街歩きは本当に楽しいものだ。
その日の夕食には、ちょっと奮発して宿の近くのレストランに行き、タンドリーチキンを食べ、よく冷えたビールを飲んだ。久し振りに食べる肉とよく冷えたビールは格別だった。美味しい物を食べたり飲んだりした時も、旅の喜びを噛み締めたくなる。テレビではクリケットの試合を中継していた。大変満足のいく夕食だった。
私は夜行列車に揺られ、デリーを後にした。向かうはヒンドゥー最大の聖地と言ってもいいであろうヴァラナシ。聖なる河、ガンガーの水で全ての罪を洗い清めようとする者、また、この地で死に、遺灰をガンガーに流し輪廻から解脱を得ようとする者が押し寄せる。その敬虔な沐浴や火葬を目の当たりにしようと、多くの観光客も訪れる。私は過去に2回ヴァラナシを訪れていたが、オールドデリーの街歩きで感じた以上のアジア的混沌を呈したこの街に魅力を感じていた。両側に高い壁が連なった狭い路地が入り組んでおり、その両側には好例のインド的色彩に彩られた店が並び人でごった返していたかと思うと、一つ角を曲がれば人通りのない、足を踏み入れるのがはばかられる様な路地もある。
人一人がやっと通れそうな路地の向こうから野良牛がやってくると引き返さざるを得ない。
どこかから聞こえてくるシタールの調べ、カレーやお香の香り、ここでも容赦なく五感を刺激されてしまう。
あてどなく歩いていると、急に視界が開け、ふとガンガーに行き当たる。
ガートである。そこではヒンドゥー教徒達が沐浴をし、女が洗濯をし、男が頭や体を洗い、子供達が水遊びをしている。ガンガー沿いにはそういったガートが数多く存在している。
そこはヒンドゥー教徒にとっての祈りの場であり、地元の人達にとっての生活の場なのである。
ガンガーは時の流れを代弁するかのように悠々と流れ、対岸の不毛の地からは神々しい朝日が昇ってくる。街の喧騒とガンガーの静寂と。
列車に乗る前に映画館で見たボリウッド映画は結局どういう内容だったのだろうかと考えながら3段ベッドの中段で体を横たえると、やがて深い眠りが訪れた。
インドの列車は到着が遅れることが当たり前なので、どうせヴァラナシ到着も遅くなるんだろうなと思っていたら、翌早朝に、たったの40分遅れで到着してくれた。ヴァラナシでまず最初にすべきことは、ネパールの首都カトマンズ行きのバスのチケットを手に入れることだった。駅の近くの旅行代理店で尋ねてみると、バスは明日かその次は4日後にしかないということだった。困った。私は2・3日の滞在の予定でいた(多くの旅人はヴァラナシに2・3日しかいないのはもったいなさ過ぎると言うだろうが)。1日の滞在は短すぎるし、4日の滞在は長すぎる。私は限られた時間の中で多くを見、経験したがるタイプの旅行者なのだ。今までもそうであったが、なかなか腰が落ち着かない。1ヶ所に長く留まることによって得る物があることも承知している。しかし私のケチな性分がそれを許さないのだ。思い切って明日のバスに乗ることに決めた。そう決めてしまうと、今日1日、目一杯ヴァラナシを楽しもうと気分がずいぶん楽になった。
宿はすんなり見つかった。韓国人の女性が切り盛りする宿で最上階のガンガービューのシングルがたったの200ルピー(約520円)に過ぎない。もちろん清潔とは言い難いが、窓から眺めるガンガーが気に入った。食堂には韓国料理のメニューが並んでおり、特にビビンバやキムチという文字を見ただけで涎が垂れそうだった。しかし私の旅にはささやかなルールがあり、極力その土地のものを食べるようにしていたので、ビビンバとキムチは帰国後の楽しみにとっておくことにした。
まず最初に、ダシャーシュワメード・ガートに行った。別名メインガートとも呼ばれるこのガートの規模は大きく、多くの巡礼者が訪れる。石段状になったガートに腰掛け、人々の沐浴を眺める。肩の辺りに水をかけた後、両手ですくった水を前方に放り投げる。そして肩までガンガーに浸るのだ。対岸から昇った太陽の位置はもう随分と高い。暑季たるに相応しい日中の灼熱を予感させる。しばらくダシャーシュワメード・ガートで敬虔な祈りを眺めた後、今度はマニカルニカー・ガートを訪れた。ここは火葬場である。輪廻からの解脱を夢見て、ここ、ヴァラナシで死を迎えた人々の遺体を焼却する場である。布で体を巻き込みミイラのようにした遺体を、木材を組み合わせて作ったみこしのようなもので運んでくる。
その運び手達は鎮魂歌だろうか、歌を歌いながら遺体を運搬している。そしてこれまた木材を組み合わせて作った土台の上に遺体を乗せ、油をかけて火を放つ。最初は勢いの弱かった火も、やがてごうごうと燃え盛り、腕がもげ、足が屈曲していき、遺体はそのほとんどが灰燼と化す。おそらくはそこまで高温でないためと思われるが、焼け残る部分もあるにはある。その遺灰を小船に載せて、ガンガーに少し漕ぎ出したところで儀式めいた作法で河に流すのである。
昼を過ぎるとあまりの暑さに出歩く気もせず、宿で手紙を書いたり、午睡(当然暑さのせいで熟睡は出来ないが)を貪ったりして過ごした。夕方から再び路地をさ迷い歩き、ガートからガートへ河沿いを歩き、野良牛に小便を引っ掛けられたのでガンガーの水でそれを洗い清め、日が落ちた後は、河辺で行なわれるプージャーと呼ばれる集団の祈りを見学し、宿泊しているのとは別のホテルのルーフトップレストランでチキンバターマサーラーとセサミナン、ビールという豪勢な晩餐を食した。
初めてヴァラナシに来た時、夜ホテルの屋上からガンガーを見下ろすと、いくつもの蝋燭の日が精霊流しのように下流へと流れてゆく様は非常に美しかったのを思い出した。
翌日は早起きして、ガンガーに昇る朝日を見に行った。
ガンガーの対岸から、赤い太陽が河面を染めながらゆっくりと昇ってくる。
早朝にもかかわらず、多くのヒンドゥー教徒達が熱心に沐浴していた。
8年前の誕生日はここヴァラナシで迎えた。私にとっては8年の歳月といえばちょっとしたものだが、悠久の流れを湛えるガンガーの前では無に等しい。今日もまた、天の理も人の営みも同じように繰り返されてゆく。
私は宿に戻って荷物をまとめ、カトマンズ行きのバスに乗り込んだ。
(米盛病院院内広報誌:2011年夏号より)