2019.06.29(最終更新日:2020.06.29)
Vol.10 カトマンズでの日々
早朝5時30分。迎えの者がホテルにやって来た。これからツアーのバスまで案内してくれるという。今日でカトマンズともお別れである。4泊5日のヒマラヤ越えの旅を経てチベットのラサに向かい、またそこからチベット鉄道に乗って中国四川省の成都に向かうツアーに参加することになったのだ。まだ暗いカトマンズの街を、ガイドに先導されながら歩いていると、カトマンズでの様々な事どもが思い返されてきた。一つの街を去る時には、寂寥感と新しい旅路への期待がない交ぜになったような、一種独特な感情が胸に去来するものである。
カトマンズではツアーの情報を集め、手配をしながらではあったけれども、なかなかのんびりと過ごすことが出来た。雨季ということもあって天候には恵まれず、やはりヒマラヤは顔を覗かせてはくれなかったが、それでもカトマンズは私を優しく包み込んでくれる素敵な街だった。
いくつかの旅行代理店で話を聞いたところでは、カトマンズから陸路で国境を越え、ラサに至るにはツアーに参加するしかないということだった。どの旅行代理店でも大筋には話は同じで、カトマンズをバスで出発し、中国国境まで行き、徒歩で国境を越える。中国側からはランドクルーザーでチベットのラサまで向かう。雪に覆われたヒマラヤを越えてである。なんとも魅力的な道中だ。ラサには3日ほど滞在し、ラサからは飛行機に乗ってカトマンズまで戻って来るか、チベット鉄道でラサを出発することが強制される。当然お金もそれなりにかかるのだが、ツアーでしか行けないのならば参加するしか致し方がない。ビザの問題もあった。私は事前に、中国に入国する為のビザを取得していたのだが、このツアーでは中国に入国する際にツアー期間のみ有効のグループビザを取得させられることになっていた。二重にビザを持ってしまうと、私が持っている1ヶ月滞在可能のビザが失効してしまうのではないかという懸念があった。しかしそれを旅行代理店のおやじに聞いても全く要領を得ない。チベット鉄道のチケットもべらぼうに高く、明らかに法外な値段である。なんとか安くチケットを購入する方法はないかと喰い下がるのだが、こちらも要領を得ない。ビザに関しては、グループビザで入国してから現地で延長出来るかもしれない、しかし確証はないという話を信じ、鉄道のチケットに関しては、結局中国政府の言い値で妥協するしかなかった。
旅行代理店に足を運ぶかたわら、私はいくつかの寺院にも行ってみた。スワヤンブナートやボダナートといったチベット仏教の寺院や、パシュパティナートといったヒンドゥー寺院である。カトマンズには多くのチベット難民がおり、チベット仏教も厚く信仰されている。私は、「智慧の目」と呼ばれるチベット仏教寺院の仏塔に描かれた目を見るのが好きだった。スワヤンブナートの智慧の目は、ボダナートの智慧の目より切れ長で、coolな印象を与える。ボダナートの智慧の目は丸みを帯びており、温かく見守られている印象があった。
私は大好きな智慧の目を見に行くべく、朝早くから歩いて山の上にあるスワヤンブナートに歩いて行った。道々「スワヤンブナート?」と方向を地元の人に聞きながら、のんびりと歩く。間違えていれば正しい道を教えてくれるし、あっていればそうだそうだと頷いてくれる。物珍しそうに追いかけてくる子供達、道端につながれたヤギ、民族帽を被って泰然と椅子に座っているお爺さん。挨拶すると満面の笑みを添えて手を挙げてくれる。煉瓦造りのいかにも貧しそうな建物が並んだ舗装されていない道を歩いていくのだが、どこかしら懐かしい感じがする。小学生ぐらいの制服を着た一団から「ハロー、ハロー」と声が掛かる。「ハロー」とこちらも返すと、屈託のない笑顔が広がっていく。単純な私はこのようなささいな交流ですら心をうきうきさせてしまうのだ。
参道とも言うべき坂道に差し掛かると、道の両側には参拝用品屋や土産物屋がぽつぽつと現れる。カラフルなサリーを着た女性が、「ミスター、ミスター」といってセールスを開始するのはいつもの通りだが、私は一生懸命にお土産用と思われるマニ石を刻んでいる石工を見て足を止めた。彼は私が立ち止まっても、一向に構う振りもせず、黙々と石を削り続けている。お土産用のマニ石ではあっても、彼にとってはやはり大切な信仰の一部なのかもしれない。私は彼の削ったマニ石なら買ってもいいかもしれない、などと考えながら坂道を登っていった。
スワヤンブナートからは、カトマンズの市街が一望に見渡せる。もし天候が許せば、その街の背後には、ヒマラヤが屏風のように屹立しているはずである。しかし、天は私にその光景を見るを許さず、猿がきゃっきゃきゃっきゃといたずらしにくるのを避けるようにスワヤンブナートを後にしたのだった。