2019.08.25(最終更新日:2020.08.25)
Vol.11 ヒマラヤを越える
雨模様の中、バスは滑り出した。バスが出発する頃にはだいぶ明るくなっていたが、それでもじめじめした中を出発するのはあまり気分のいいものではなかった。しばらく走れば、もう市街地ではなく田園地帯であり、さらにもうしばらく走れば、田園地帯ではなく山岳地帯である。色鮮やかなサリーをまとった女性達がそぞろ歩きをしていたり、壮年の男性が荷物を運んでいたり、子供達が無邪気に走り廻っていたり、人々が農業にいそしんでいたりするのを車窓から眺める事が出来た。舗装されている道から土の道へいつの間にか変わり、それは雨に濡れて泥の道へと変わっていった。途中、朝食を摂るためにレストランへ寄ったのだが、その辺りから今度のツアーの同行者たちは言葉を交わすようになっていった。ツアーの参加者は総勢9名で、私以外はオランダ人のカップル、イギリス人女性、ニュージーランド人男性、ブラジル人のおやじ、ドイツ人のおやじ、イスラエル人の男性、日本人とアメリカ人のハーフの男性といった面々だった。それにチベット人のガイド一人と運転手二人が同行する。
欧米人はやはり社交慣れしているというか、こういう場合にはすぐに打ち解けて話を始める。最初に話の中心になっていたのは、イギリス人女性のキャサリンとオランダ人カップル、ニュージーランド人のヘドリーだった。オランダ人カップルは母国語ではないにもかかわらず、二人ともかなり流暢な英語を話した。
国境までの4・5時間、私も車内の会話に耳を傾けたり、拙い英語で話したりするうちに彼らとの距離が少しは近づいたような気がした。
彼らは多かれ少なかれ、チベット仏教に興味があるようだった。キャサリンやヘドリーなどは、東洋人である私よりも実に詳しくチベット仏教について知っていた。私も少なからずチベット仏教に興味はあったが、教義についてなどは全くと言っていいほど知らなかった。
ネパール側のイミグレーションで日本人とアメリカ人のハーフ、ケンの荷物が紛失した。バッグの中身を調べられた後、その荷物が返ってこなかったらしい。我々ツアー客以外にも、行商人のような人達もたくさん国境を越えていたので、彼らの荷物と紛れた際に紛失したのかと思われる。私はこの様な事が起こらないように、自分の荷物からは目を離さなかった。ケンはあまり旅慣れていないのか、おおらかな性格なのか、あまりそういう危機管理をしない感じだった。彼が荷物を紛失しておろおろしているのを見て、気の毒に思うのと同時に、やはり旅行中は気を抜く事はなかなか出来ないなと改めて感じさせられた。幸い、係官にその旨伝えたところ探し回ってくれ、行商人の一団がその荷物を持っているのを見つけてくれ、ケンの荷物は彼の元へ帰ってきたのだった。旅行中に荷物を紛失するというのは、なかなかツラいものである。
歩いて川にかかった橋、すなわち国境を越え、中国側のイミグレーションオフィスに到着すると、検疫官が昼休みなのかおらず、随分待たされる事になった。検疫が済み、今度は荷物を調べられるのだが、本を念入りに調べられたのが印象に残っている。
確かにバスの車内でキャサリンたちが、ダライラマの写真が載っている本は没収されるというようなことを話していたような気がする。私はそのような本を持ってはいなかったが、中国のガイドブックを念入りに調べられた。係官は頬に赤みがさしたあどけなさの残る青年だった。茶色の制服に身を包み、星の入った帽子を被っていた。最初は検閲官らしいしかつめらしい表情でページを繰っていたが、だんだんガイドブックの内容に好奇心がかきたてられていくのが手に取るように見て取れた。途中からは彼の興味のある写真が載っているページを眺める時間が長くなった。彼が巻頭にある中国全土の地図を広げた時、勢いあまって破いてしまった。私はそのような事にあまり頓着はしないのだが、彼は非常に申し訳なさそうに言葉を並べていた。中国語であった為、正確な内容は分からなかったが謝っている事だけは充分なくらいに伝わってくる。私も「オーケー、オーケー」というように気にしていない旨を伝えると、彼は地図を丁寧にたたみ、「グッドバイ」とおそらくは数少ないであろう彼の知っている英語で、はにかみながら私の入国を見送ってくれた。辺境に暮らす彼のあまりにも純朴な態度は、何か貴重なもののような気もし、健全なもののような気もした。
結局、パスポートに入国スタンプが押される事は無かった。カトマンズで心配した通り、グループビザの紙切れにスタンプが押されたのだ。私は、事前に取得したビザが失効したのではと危惧した。係官に「この観光ビザで入国したいからパスポートにはんこを押してくれ」と頑張ってみたが駄目だった。やはりこれが後日、予期せぬルートの変更を余儀なくされる原因となる。