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2019.08.25(最終更新日:2020.08.25) Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

Vol.12 チベットの空はどこまでも青く

 景色が素敵な旅だった。ラツェ、シガツェ、ギャンツェといくつかの都市、と言うか田舎町を経由して、チベットの高原を走り抜けた。雪に覆われた標高5000m級の峠を越え、どこまでも続く緑の草原を貫く道を疾駆した。空は突き抜けるように青く、羊たちが草原に遊ぶ。時に道路を横断し、我々の行く手を阻む。ネパールでは天候に恵まれなかった私も、この道中では幸運にもエベレストの頂を目にする事も出来た。思った程、高山病に悩まされる事もなく、ティンリー(標高4300m)の町で試みに走ってみて少しくらくらした程度だった。
ティンリーもジャンムーと同じく一本道の両側に家や店が並んでいるだけの町だった。その通りには民族衣装をきた老若男女が行きかい、車も全くと言っていい程通っていない。代わりに馬車が人や物資の運搬を担っている。なので、歩行者天国の様な印象である。
若い女性達が横一列に腕を組んで、小さい頃遊んだはないちもんめのように、通りを濶歩している様はなかなか純朴な趣があった。私のような外国人に対する興味は津々なのだが、恥ずかしがる様がこれまた初々しい。
高度が高く、直射日光が強いからだろうか、チベタンの多くは顔が日に焼けている。若い女性達ではあるが、おそらくは日焼け止めなど塗ってはいるまい。申し訳程度に布のようなものを頭に被せているだけだと思う。見事なまでにこんがりと焼けていた。それは健康的を通り過ぎて、少しばかり痛々しいほどだった。
シガツェはラサの西280kmに位置するチベット第2の都市である。シガツェではタシルンポ寺を訪れた。チベットに行きたいと願っていた私ではあるが、恥ずかしながらラサ以外の地名は知らず、ましてやタシルンポ寺について、いやこの道中でラサに至る土地についての前知識は一切なかった。
タシルンポ寺の建物の印象は残っていない。ただ、まだあどけなさの残る若い僧侶たちの集会の様子は思い出すことが出来る。時間が来たので集会所にぞろぞろと若い僧侶たちが集まってきた。若い男の子がおしゃべりしながら集会所に入っていく様は、私が中学・高校と過ごした男子校での様子となんら変わるところがなかった。
入口に脱ぎ散らかされた靴。皆同じ靴を履いているので、帰る時に混乱は起こらないのだろうかと心配してしまう。集会所の中に入って、彼らが声をそろえて読経しているのを聴く。高い声の集団と、低い声の集団が絶妙な荘厳さを生み出す。漂ってくるお香の匂い。そんな荘厳さの中にあって微笑ましかったのは、やはり好奇心を抑えきれず、見学している我々外国人観光客を盗み見る何人かの若い僧侶だった。彼らが座して読経している中央には、幼いラマの姿があった。
ラマは阿弥陀菩薩の化身である。幼いラマは、若い僧達が唱和する読経を聴いて何を思うのだろうか・・・。
ギャンツェには昼過ぎに着いた。
チェックインしたのは中庭があるなかなか素敵なホテルだった。ギャンツェにはギャンツェ・ゾンという要塞のような建物と、パンコル・チョーデというチベット最大の仏塔を誇るお寺があり、観光名所となっているらしい。確かに、街道筋を車で走っている時にも、遠目に、その雄大な姿を眺める事が出来た。
私は新しい土地に辿り着いたらまずは町歩きを楽しむのだが、この日はどうしても洗濯をせねば夜に着替える下着もない状況だった。

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