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2019.03.25(最終更新日:2020.03.23) Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

vol.1 プロローグ 旅の始まりはバンコク

プロローグ

 空が白み始める頃、前日の夜遅くにパリを出発したバスはロンドンのビクトリア・コーチ・ステーションに到着した。カレーからフランスを出国する際、理由も分からぬままイミグレーションオフィスの別室で40分程取調べを受けるというハプニング(この時は、それぐらいの事はもはやハプニングとすら感じない程、旅に疲れていた)もあり、ドーヴァー海峽を渡るフェリーに乗船する時も起こされたのでかなり眠かった筈であるが、それでも夜が明けだしたロンドンの街を歩く足取りは軽やかだった。
 ここロンドンは、私が長年夢見てきたユーラシア横断(実際には横断ではなくなってしまった)の旅の最終目的地である。ご承知のように、ロンドンの街が位置するのはユーラシア大陸ではない。では何故ロンドンが最終目的地であったのか? 確かにヨーロッパには長い旅の終焉を迎えるに相応しい魅力的な街がキラ星の如く存在する。
 ちょうど10年前、世が2000年問題で揺れていた1999年夏、私は大学を休学して貯めた金をすべて注ぎ込んで2ヵ月間ヨーロッパを旅した。バックパッカーと呼ばれる、リュックを背中に自由気儘に旅するスタイルでの初めての旅だったが、その第1歩を踏み出したのがロンドンの街だったのである。
 私はこの10年という歳月の間に、大学を卒業し、社会に出、ある組織に所属しながら日々を過ごしていた。もちろん長期の旅とは縁遠い環境である。残念ながら日本の社会は長期の旅に対してそれ程寛容ではない。初めてのヨーロッパ旅行で旅の魅力の虜となってしまっていた私は、日々の仕事に忙殺されながらも、いずれは未知なる国々の文化や人々、美味しい食べ物に触れながら、ユーラシア大陸を横断したいという夢を育み続けた。
 紆余曲折を経て、今回の旅の実現に目処が立ち計画を練っていた時、私は10年前の旅のスタート地点を10年後の旅のゴール地点とし、その感じ方を比較してみるのも面白いのではないかと思った。その感じ方の違いから、費やした時の間に自分がどのように変化(成長というような正の方向性を持った変化であればいいのだが)したかを推し量る事も出来よう。
 そして今朝、そのロンドンに到達したのである。日出づる国を出発して4ヵ月強が経過していた。

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