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2021.12.24(最終更新日:2022.02.08) Dr.畑の 焼酎入門

第15回 熊本まで南下した日本酒文化。鹿児島には入れず…。なぜ?

米盛病院の非常勤医師であり、焼酎マイスターの資格も持つDr.畑がお届けする鹿児島ならではの焼酎雑学。

 

皆様、こんにちは。

宇治徳洲会病院救命救急センター長(兼米盛病院非常勤医師)の畑です。日本酒文化の地、京都からご挨拶申し上げます。

いよいよ冬本番となり、焼酎お湯割りが恋しい時期になってきましたね。焼酎の新酒が発売されるのもこの時期です。

 

今回のテーマは「熊本まで南下した日本酒文化。鹿児島には入れず…。なぜ?」です。

今でも鹿児島県内に113もある酒造会社のうち、日本酒を造っているのはわずか1しかありません。

どうして鹿児島には日本酒文化が入ってこなかったのでしょうか?

 

日本酒の飲み方

 私が子どもだった頃(もう50年以上前のことですが)、親父はよく日本酒を温めて「燗酒」として飲んでいました。温めると香りや旨みがふくらむため、昔から好まれてきた日本酒の飲み方です。

皆様は、「貧乏人の冷や酒」と言う言葉をご存じでしょうか? 鹿児島では使わない言葉ですね。この場合の「冷や酒(ひやざけ)」は「冷酒(れいしゅ)」とは違い、常温の日本酒のことを言います。
冷蔵庫が普及していなかった時代、お酒は「燗」か「冷や酒」でした。「燗」の方が良い飲み方とされていたようですね。冷蔵庫でキリッと冷やした「冷酒」が好まれるようになったのは、結構最近のことなのです。

 

日本酒文化の広がりと鹿児島に定着しなかった理由

日本酒文化が九州へ(熊本まで)広まった原因には諸説あると思いますが、西南戦争の際に官軍によってもたらされたと言われています。

しかし、鹿児島には定着しませんでした。その理由として一般的に挙げられているのは、温暖な鹿児島の気候が寒冷地を好む日本酒造りに適さなかったことや、鹿児島のシラス台地が米作りに適さなかったことなどです。

さらに本州からの「輸入品」であった日本酒はおそらく値段高く庶民には手に入りにくかったことでしょう。
ですが、それだけではありません。

 

秋の夜長、お湯割りを楽しみながら

かつて「燗」で飲むのが主流であった日本酒。アルコール度数は15度程度。飲み方は食事の際に飲む「食中酒」です。
一方、64のお湯割りが美味しい芋焼酎。お湯割りにするとアルコール度数はこれまた15度程度になります。つまり、鹿児島では日本酒を燗で飲むのと同じような温度・度数・飲み方で焼酎を飲んでいたというわけです。
ならば、焼酎が日本酒に負けるはずがないではありませんか? 皆さんはどう思いますか?
しかし、最後のところは完全に私の個人的見解(焼酎愛)が入っています(笑)。

秋の夜長、『西南戦争に敗れはしたけれど、文化的には支配されなかったぞ!』という薩摩魂に思いをはせながら、お湯割りを楽しんではいかがでしょうか?(私は滋賀県生まれでありますが…)

 

次号は「黒糖焼酎は奄美でしか造れません?」です。お楽しみに!

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焼酎マイスター Dr.畑 

宇治徳洲会病院 救命救急センター長 / 米盛病院 非常勤医師 畑 倫明

焼酎と温泉をこよなく愛する医師。追求心が強すぎて、好きなだけでは飽き足らず、「温泉ソムリエマスター」に続き、このたび「焼酎マイスター」「焼酎唎酒師」も取得!

 

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