2022.07.22(最終更新日:2022.09.08)
Vol.11 かつて海水浴場があった?の巻〈天保山海水浴場 編〉
米盛病院周辺の歴史をひも解く“よねさんぽ”。
今回Pick upするのは、「与次郎ヶ浜長水路」。
楽しくゆるりと米盛病院周辺を散策しましょう!
子どもの頃、夏の楽しみのひとつが海水浴でした。時間が経つのも忘れて、夢中になって遊んだものです。
海水浴といえば、米盛病院が位置する与次郎地区近辺には、かつて多くの人に親しまれた「天保山海水浴場」があったことをご存じでしょうか?
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「海水浴場で心に残っているのは、鹿児島の天保山である。」(※1)と綴るのは、脚本家やエッセイストとして活躍した向田邦子氏。父の仕事の都合で、9歳~11歳までを鹿児島市で過ごした向田氏は、天保山海水浴場にはラムネやゆで玉子を売る店が出ていたこと、鹿児島市平之町にあった自宅からバスで毎週のように通っていたことなどをエッセイに記しています。
鹿児島を『なつかしい「故郷もどき」』(※2)と表現し、1979年には約40年ぶりに来鹿。天保山にも訪れ、サンロイヤルホテルに宿泊しています。著書にて、鹿児島市随一といっても遜色のなかった天保山海水浴場が、松林がわずかに残るのみになっていたことに驚きつつも、変わらない桜島とその美しさに思いを馳せています。
実は、1972年の第27回国民体育大会(太陽国体)に合わせた与次郎ヶ浜の大規模な埋め立て工事により、天保山海水浴場も大きく姿を変えたのでした。
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変わりゆくものと変わらないもの。
今でも当院周辺に残る美しい松林が、当時の面影を穏やかに物語ります。
当院の窓から桜島を眺めながら、今年の夏は久しぶりに海に行きたいな、と思ったのでした。
※2:『眠る盃「鹿児島感傷旅行」』より
向田 邦子
1929年、東京生まれ。脚本家としてラジオ・テレビで活躍。
テレビドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』、エッセイ『父の詫び状』など多くのヒット作を生む。1980年、直木賞を受賞。翌年、航空機事故により死去。
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鹿児島市与次郎エリアには、ランチ・ディナーにぴったりなお腹もココロも満たしてくれる店舗も盛りだくさん! グルメな広報課スタッフが文章&撮影まで担当しています。
米盛病院 広報課スタッフ取材メモ
米盛病院が位置する与次郎地区近辺に、かつて海水浴場があったことを知り、とても驚きました!きっと素晴らしいロケーションだったことと思います。
向田邦子さんの著書の中に、「鹿児島」「桜島」「天保山」など、慣れ親しんだフレーズが何度も登場していることにも感動しました。