SmaHapi(スマハピ)まわりの人たちの笑顔のために。緑泉会Webマガジン。

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2019.03.25 Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

Vol.2 微笑みの国

 翌日は朝7時頃に目が覚めた。眠い。当然である。バンコクは暑期を迎えており、そんな折に冷房もないファンだけの部屋で熟睡出来る訳がないのである。おまけに隣では昨日夜遅くまで歓楽街で我が世の春を謳歌していた韓国人(崔鍾元:チェジョンウォン)が鼾をかいている。そう、あまり言いたくはなかったが、私は彼とタクシーのみならずベッドもシェアする事になったのだった。予め断っておく。私は同性愛者ではない。私だって1つベッドを伴にするのなら柔肌の女性がいいに決まっている。昨日は疲れていたし、あまりにもカオサンの宿の混雑振りがすごいので、部屋は1つしか空いていないと宿のオニイチャンに言われても、他を探すのが面倒でその部屋に決めてしまったのだ。ちなみにその部屋というのは、大きなダブルベッドが面積の大半を占めているという代物で、さっきも言ったが冷房はない。天井で大きな扇風機が生暖かい風を掻き回しているだけである。壁も薄く、隣に泊まっているカップルの声もまる聞こえだ。トイレ・シャワーは宿泊者みんなの共用で、料金は1泊1人125バーツ(約375円)という安さである。宿泊者の多くは日本人バックパッカーだった。
 さて、目が覚めてまず思った事は、「今日は何をしようか?」という事である。
日本にいた時とは違って、毎日の決められた仕事はない。しなければならない事もない。いや、いくつかはしなければならない事もあるのだが、しなければしないで済む程度の事であり、絶対に今日しなければならないというレベルのものではないのだ。子供の頃、学校が終わって「今日は何をして遊ぼうか?」と心躍らせていた気持ちと似ている。何物にも縛られない解放感、1日を好きなように過ごせる自由、これらは旅の醍醐味である。
 さて、私はしばらくこの旅の計画を練っていたのだが、むくりと起きたジョンウォンと朝飯に出掛けた。近くにあるタイ人経営の屋台と食堂の中間のような店で、歩道にせり出したテントの下に惣菜を並べていて、好きなものを指差して白ご飯の上に乗せてもらう。私は白ご飯の上に、豚の角煮と煮卵を乗せてもらい、あっさりとしたスープをいただいた。それでたったの70バーツ、200円ぐらいに過ぎない。安ければそれでよいと思っている訳ではないが、美味しい料理を鱈腹、しかも安く食べられるのならば、願ったり叶ったりではないか。
食事を終えて満腹になり、幸せな気分で宿に戻ると、同宿の女の子がソンクラン中は店や行政機関は休みだと教えてくれた。敢えてしなければならない事はイランビザの取得ぐらいだが、大使館が休みであるならば仕方がない。私はジョンウォンと一緒に祭りに参加してみる事にした。
昼前から人々が歩行者天国になっている道に集まり出し、柄杓や水鉄砲、あるいはホース等を使って通行人に水を掛ける。
通行人は通行人で色んな人達に水を掛ける。
手に小さなバケツを持って、その中の泥のようなものをすれ違う人の顔や腕に塗り付けている人もいる。昼を過ぎるにしたがって人の数はどんどん増えていき、芋の子を洗うような混雑となり、人の群れは遅々として進まない。水を掛けられているので当然びしょ濡れなのだが、知らない人に水を掛けたり掛けられたりが意外と楽しく、不快な思いはしない。
大勢の人込みに紛れて街をゆっくりゆっくりと練り歩いてゆく。大使館がソンクランで休みと知った時は、無駄な足止めを喰って何てついてないんだと感じたのに、こうして祭りに参加して楽しんでみると、ソンクランの時期にバンコクにいれて何てラッキーなんだと感じている。自分の現金さに恥じ入るばかりである。旧正月に暑期を迎えるタイの暑気払いなのだろう、この祭りが私のバンコク滞在を楽しいものにしてくれそうだ。夕方少し肌寒くなった頃に1度宿に戻った。シャワーを浴びた後、夕食に出掛けると、通りはさらなる活気を帯びていた。今度は水をかぶらない様に歩き、とある行き付けの食堂に入った。鳥のもも肉の炭火焼きを肴に、よく冷えたタイのビールを喉に流し込む。日が暮れかけて街灯が灯り始める頃(私は1日のうちでこの時間帯が1番好きだ)、通りのざわめきを耳にしながら飲む酒はまた格別である。ジョンウォンと他愛もない会話を交わし、道ゆく人を眺め、どれほど杯を乾しただろうか、程よく酔いが回った時分にジョンウォンが、歓楽街に繰り出そうと言い出した。昨日1日では満足出来なかったらしい。
バンコクの歓楽街には何度か足を運んだ事があるが、それはそれはもう目眩い世界で、カラオケクラブやラウンジ、ゴーゴーバーなど、ありとあらゆる欲望・欲求が渦巻きそしてそれに応える事が出来る信じられない世界なのである。
しかし、私は、怪しいネオンがきらめき、胡散臭い客引きや売春婦に声を掛けられ歩を進めながら、その歓楽街の持つあっけらかんとした明るい雰囲気の裏側に潜む人間の陰湿な欲の強大さに圧倒された、いや、畏怖すら覚えたものだった。
よって、ジョンウォンの提言を却下し、大人しく宿に帰ったのかというとそうではない。私はジョンウォンと共に欲望の街に身を沈めてみる覚悟を決め、夜の街へ繰り出した。不惑まであと数年であるが、本当に40になって、惑う事がなくなるのだろうか。
 ジョンウォンはオーストラリアへ帰って行った。
私は同じ宿のドミトリー(大部屋に2段ベッドが6つ置いてある)へ居を移し、ソンクランがあけたバンコクの街を歩き出した。
まずはイランのビザを取得する為にイラン大使館に行く事にした。
路線バスに乗り大使館が集まる地区に向かう。バンコクは、シンガポール、クアラルンプールと並ぶ東南アジアを代表するメトロポリスである。道路は多くの車やバス、バイクでごった返し、その排気ガスによる大気汚染は凄まじい。中心部には高層ビルが林立し、高速道路や地下鉄といったインフラも整備されている。ただ、都会的なメインストリートから1本入ると、そこは古めかしいスラムまがいの様相で、アジアの混沌を感じさせて趣がある。バスは当たり前のように渋滞に巻き込まれ、まあいつもの事だからと言わんばかりにのんびりと進んで行く。特別急ぐ必要もないし、ゆっくり進んでくれた方が車窓を楽しめるというものだ。屋台で遅い朝食を摂る人達、欧米人観光客を乗せたトゥクトゥク(オート三輪)、美しい傾斜のついた屋根の仏教寺院とそこで祈る人々、活気溢れる市場。太陽が昇るにつれて気温が上昇し、うだるような暑さだ。排気ガスで淀んだ大気、けたたましいクラクション。
 到着したらイラン大使館は移転しており、人に尋ねながら歩いて探し回る羽目になった。炎天下で歩き回るのは非常に体力を消耗する。セブンイレブンでミネラルウォーターを買い水分補給をしつつ、どうにか探し当てたイラン大使館でのビザ申請はスムーズに終わった。申請書と写真を提出し、代金を銀行に振り込んでパスポートを預ける。発給を拒否されるのではという心配は杞憂だった。ただ、受け取りが週明けになるので、その間はバンコクで時間を潰さねばならない。無期限の旅ならば物価の安いタイで2・3日滞在が延びてもどうという事はないのだろうが、帰国すべき大まかな日取りが決まっている私には、する事のないバンコクで日を費やさなければならないのは痛かった。繁華街を買い物するでもなくぶらぶら歩き、渋滞を避ける為、運河を走るボートでカオサンに戻った。
宿で、ソンクランについて教えてくれた日本人の女の子(祐里ちゃん)と話してみると、彼女もソンクラン後の予定はぽっかり明いているらしく、2人で色々行動してみようという事になった。彼女はデンマークにワーキングホリデーに行くらしく、部屋を借りる下見にコペンハーゲンへ向かう途中、バンコクに寄ったとの事だった。そして、ソンクランを楽しんでいる最中に財布を失くし、日本からの送金を待っているらしかった。私がその境遇ならば随分落ち込んでいるはずだが、彼女はあっけらかんとしていた。干支が一回りも違う女の子と話す機会などめったにないので、彼女との会話は刺激的だった。2人でビールを飲みながら話し込み、近くのお粥屋台で一緒に夜食を食べる。こうしてまた、バンコクの蒸し暑い夜が更けてゆく。
次号へ続く

(米盛病院院内広報誌:2010年春号より)

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