SmaHapi(スマハピ)まわりの人たちの笑顔のために。緑泉会Webマガジン。

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2019.03.25 Dr.崔の ユーラシア大陸横断記

vol.1 プロローグ 旅の始まりはバンコク

プロローグ

 空が白み始める頃、前日の夜遅くにパリを出発したバスはロンドンのビクトリア・コーチ・ステーションに到着した。カレーからフランスを出国する際、理由も分からぬままイミグレーションオフィスの別室で40分程取調べを受けるというハプニング(この時は、それぐらいの事はもはやハプニングとすら感じない程、旅に疲れていた)もあり、ドーヴァー海峽を渡るフェリーに乗船する時も起こされたのでかなり眠かった筈であるが、それでも夜が明けだしたロンドンの街を歩く足取りは軽やかだった。

 ここロンドンは、私が長年夢見てきたユーラシア横断(実際には横断ではなくなってしまった)の旅の最終目的地である。ご承知のように、ロンドンの街が位置するのはユーラシア大陸ではない。では何故ロンドンが最終目的地であったのか? 確かにヨーロッパには長い旅の終焉を迎えるに相応しい魅力的な街がキラ星の如く存在する。

 ちょうど10年前、世が2000年問題で揺れていた1999年夏、私は大学を休学して貯めた金をすべて注ぎ込んで2ヵ月間ヨーロッパを旅した。バックパッカーと呼ばれる、リュックを背中に自由気儘に旅するスタイルでの初めての旅だったが、その第1歩を踏み出したのがロンドンの街だったのである。

 私はこの10年という歳月の間に、大学を卒業し、社会に出、ある組織に所属しながら日々を過ごしていた。もちろん長期の旅とは縁遠い環境である。残念ながら日本の社会は長期の旅に対してそれ程寛容ではない。初めてのヨーロッパ旅行で旅の魅力の虜となってしまっていた私は、日々の仕事に忙殺されながらも、いずれは未知なる国々の文化や人々、美味しい食べ物に触れながら、ユーラシア大陸を横断したいという夢を育み続けた。

 紆余曲折を経て、今回の旅の実現に目処が立ち計画を練っていた時、私は10年前の旅のスタート地点を10年後の旅のゴール地点とし、その感じ方を比較してみるのも面白いのではないかと思った。その感じ方の違いから、費やした時の間に自分がどのように変化(成長というような正の方向性を持った変化であればいいのだが)したかを推し量る事も出来よう。

 そして今朝、そのロンドンに到達したのである。日出づる国を出発して4ヵ月強が経過していた。

 

旅の始まりはバンコク

 バンコクのスワンナプーム国際空港に着いたのは夜も遅い時間だった。手荷物カウンターで、預けた大きなリュックを受け取った直後、見知らぬ東洋人の青年に英語で話し掛けられた。日本人かとも思ったが、こちらも拙い英語で話してみると彼は韓国人で、ワーキングホリデー先のオーストラリアに帰るところで、バンコクで途中降機したのだと言う。私がバックパッカーであると判断し、カオサン通りまで連れて行ってもらおうと声を掛けたとの事だった。カオサン通りとはバックパッカーの聖地とも言われる場所で、300m程の通りの両側に、安宿やレストラン、バー、コンビニエンスストア、インターネットカフェ、旅行代理店、古本屋に服を売る店、土産物屋など、旅行者が必要とするあらゆる店舗が所狭しと、密集している。夜になると、さらに麺類やフルーツ、焼き鳥などを売る屋台まで出没する。「旅慣れた人達はまずカオサン通りに行ってから旅の準備をする」と言われるくらいに何でも揃うので、旅人達が集まってくる。また、旅人達が集まるという事は旅の情報も集まってくるのである。私は旅慣れている訳ではないが、旅の情報が欲しいし、何よりもあの雑然としてアジア的な雰囲気、西洋と東洋の旅人達、地元の人達混然一体となって馬鹿騒ぎをしているのを見るのが好きなので、バンコクに行く度に、カオサン周辺に宿をとっていた。今回もカオサン周辺に宿をとるつもりだったので、彼の申し出はさして私を困らせるものではなかった。それでは一緒にバスに乗ってカオサンまで行こうかと空港を一歩出ると外はもう暗くなっていたが、南国特有の、肌にねっとり絡みつく熱気に包まれた。街灯のオレンジ色の光が優しく道路を照らしている。

エアポートバス乗り場に着くと、何故か人が少ない。聞いてみると今日はバスがないと言う。エアポートバスがなくなる程遅い時間ではないのになあと訝しがっていると、件の韓国人がタクシーで行こうと提案してきた。バスがないのに待っていても仕方がないし、タイのタクシー運賃は安いので、二人で乗り合わせれば意外と安くつくかもしれない。そう思い、タクシーでカオサンに向かう事にした。トランクに大きなリュックを積み込み、韓国人と二人して後部座席に乗り込むと、タクシーは夜の街に滑り出した。高速道路を走るタクシーの窓からは、ネオンに彩られた高層ビル群を眺めることが出来た。座席に座り、流れゆく夜のバンコクの街を眺めているといくらか落ち着いた気分になり、私は旅の面白さを噛み締めるのだった。今朝日本を出発し、半日しか経っていないのに、こうして見知らぬ青年とタクシーに同乗して夜のバンコクを疾走している。日本での日常に埋没していると、見知らぬ人とタクシーをシェアするという事はまずあり得ない。しかし旅の途上ではそういった類の事はよく起こるのだ。私はこれから起こるであろう数多くの出会いや偶然に心を馳せた。

 タクシーは50分ぐらい走っただろうか。我々二人は見慣れた猥雑な通りに降り立った。カオサン通りはいつもの様に、タイ人は言うに及ばず、東洋人や西洋人の旅行者でごった返していた。その熱気に後ろ髪引かれつつも、宿を確保することが先決なので、カオサン通りの一本隣の通りに面したビルの4階にある、一度泊まった事がある安宿に行ってみた。すると残念ながら、今晩は全てのベッドがうまっているらしい。宿泊している日本人と言葉を交わすと、どうやら現在はタイの旧正月に当たり、ソンクランと呼ばれる水掛祭り目当てに多くの旅行者がバンコクに押し掛けてきていると言う。旧正月という事で、エアポートバスがないのも納得がいった。我々はこの宿を諦め、路地の奥にある日本人が多く宿泊するエリアに向かった。そこには安宿が何軒かあり、我々はそのうちの空いている1軒に泊まる事に決めた。先程まではあんなに通りを埋める人々の熱気に惹かれていたのに、宿のベッドに腰を下ろすと、日本からの長旅の疲れもあり、とたんに外に出るのが億劫になってしまった。これから繁華街に繰り出すという韓国人の誘いを断り、私は旅の興奮と疲れのうちにベッドに身を横たえた。

次号へ続く

(米盛病院院内広報誌:2010年冬号より)

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