整形外科領域を深く学ぶことができ、なおかつ、教育体制が充実している点に魅力を感じて、新卒で緑泉会へ入職。
入職後2年目までは米盛病院、3年目からは米盛草牟田クリニックで勤務。
7年目に主任へ昇進。同年に米盛中央駅クリニックの立ち上げに携わった。米盛中央駅クリニックの開院後は、オープニングスタッフとして勤務。2019年には課長代理へ昇進した。
2020年2月の米盛中央駅クリニック閉院後は、与次郎米盛クリニックの立ち上げを局長とともに主導した。
2022年4月に与次郎米盛クリニック開院のタイミングで課長へ昇進し、以後は同クリニックにて外来の患者さんに対するリハビリを行いつつ、人材育成に注力している。
スポーツドクターの赴任を契機に、当法人はスポーツリハビリ関連の外部活動に注力し始め、私自身も高校の運動部やプロバスケットボールチームのサポート活動を行うようになりました。
活動当初、苦戦したことの一つとして覚えているのは急変対応やテーピングです。普段の業務では対応する機会がなかったため、院内で開催されるトレーニングの場へ積極的に参加し、練習を重ねることで習熟度を上げていきました。
苦労したことも多々ありましたが、活動を継続して行うなかで選手から相談をもちかけられるようになると、喜びを感じましたし、モチベーションも上がったため、良い経験になったと思っています。
主任へ昇進した年に米盛中央駅クリニックの立ち上げに携わることとなり、予約のフローや患者さんの動線に関する検討・調整を担当しました。
役職に就いて間もない頃だったため不安もありましたが、滞りなく完遂することができたのは、上長に随時相談しながら着実に進めたことが要因として大きかったと思います。
クリニックの開院当初は対応範囲がスポーツリハビリに限定されていたこともあって、患者さんの来院数があまり伸びない状況にありましたが、対応範囲が広がり、地域の方々の認知度が向上すると、最終的には来院数が当初の数倍まで増えて、スタッフの士気も上がっていきました。
入職して最初の10年は、患者さんのリハビリや任された仕事など目の前のことに一生懸命取り組んできましたが、30代を迎え、次の10年は、「後進の育成に貢献できる人物になる」という目標を達成するための期間にしようと決めていました。
そして、「目標を達成できるだけの臨床力を身に付けるためには、根拠をもったリハビリができることが必要。そのために文献を深く読み取る力を身につけたい。」と考え、鹿児島大学大学院への進学を決心。
大学院に通い、講義を受講したり論文を作成したりするなかで「文献を深く読み取る力」を向上させることができた実感があり、目標達成に近づくことができた2年間だったと思います。
業務と大学院の両立は簡単ではありませんでしたが、同僚が業務調整に協力してくれたこともあり、最後までやり遂げることができました。また、進学へ理解を示し、快く承諾してくださった理事長や上長にも感謝の気持ちでいっぱいです。
米盛中央駅クリニックに続き、米盛病院に隣接する与次郎米盛クリニックの立ち上げに携わることとなりました。
今回は前回の立ち上げ時と違い、局長とともに、リハビリ室の間取りや使用する設備・物品などのハード面も含めてゼロから検討し、主導する立場でした。初めて取り扱う内容も多く、動かす金額も大きかったため、戸惑いもありましたが、それ以上に自分の思いが形となっていく喜びが大きかったことを覚えています。基本的には局長と協働し、相談しながら進めていったので、円滑に開院までもっていくことができました。
現在勤務している与次郎米盛クリニックは、急性期機能を有する米盛病院に併設されたクリニックであるため、手術後の患者さんも多く、人工関節や多発外傷、スポーツ整形と、扱う疾患は多岐に渡ります。
幅広い疾患、そしてさまざまな年齢層の患者さんに対応できるクリニックとして、地域住民から信頼され、選んでいただけるように、課長としてより一層人材育成に注力していきたいです。

