2023.05.01(最終更新日:2024.03.06)
トルコ・シリア大地震 派遣活動報告 『ティシュクレー!』現地の方々の存在が励みに
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トルコ・シリア大地震により甚大な被害が発生したトルコ南部のガジアンテップで、医療支援活動を行った山之内千絵師長と中澤弘子副師長に現地での活動の様子を聞きました。(写真提供 JICA)
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米盛病院 看護部 8 階病棟
山之内 千絵 師長前職で3カ国の医療支援活動に関わり、2014年に米盛病院に入職。2019年には、国際緊急援助隊 感染症チームの一員としてサモア独立国で活動。
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米盛病院 看護部 ER
中澤 弘子 副師長神奈川県の病院で3年間勤務したのち、オーストラリアへ留学。帰国後に埼玉医科大学総合医療センターでフライトナースとして勤務。2020年6月に米盛病院に入職。
トルコ・シリア大地震
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発生:(現地時間)2023年2月6日午前4時17分
(日本時間)2023年2月6日午前10時17分
震源:トルコ南東部
規模:マグニチュード7.8
死亡者数(トルコ国内):48,448人(3月14日時点)
負傷者数(トルコ国内):115,000人以上(3月14日時点)
参照:外務省ホームページ(2023年4月5日参照)
国際緊急援助隊(JDR:Japan Disaster Relief Team)とは
1987 年に国際緊急援助隊の派遣に関する法律が制定され、国際緊急援助活動を開始。救助チーム・医療チーム・専門家チーム・感染症対策チーム・自衛隊部隊の5つのチームがあり、単独または複数のチームを組み合わせて活動している。医療チームは、被災者の支援にあたり、必要に応じて疾病の感染予防や蔓延防止のための活動を行う。事務局はJICA(国際協力機構)。
―トルコへ向かうまで
中澤 2月6日の地震発生後、国際緊急援助隊医療チームの派遣募集があるかもしれないと感じ、応募への決意を固めていました。実際、2月10日に募集がかかり、院内で上司や同僚などに相談したところ、皆さんが快く背中を押してくださいました。派遣決定後、徐々に実感がわき、今回が初めての派遣だったこともあり、緊張と不安が押し寄せてきました。
山之内 いつ出発になってもいいように、今自分がしておくべきこと・引き継ぐべきことを考え、準備をしていました。
―トルコまでの道のり
中澤 2月12日、1次隊第2陣として震源地に近いトルコ南部のガジアンテップへ向かいました。羽田からイスタンブールまでは約13時間半。飛行機を乗り継ぎトルコ中南部のアダナへ行き、さらにバスで約4時間。長時間の移動の後に、合計約30㌧の資機材の荷下ろしをしなければならなかったのですが、避難所にいた現地の方々が作業を手伝ってくれたんです。疲れや緊張もありましたが、現地の方の存在に励まされ、初日から忘れられない出来事でした。
山之内 私は、1次隊第3陣として派遣されたので、中澤さんの出発から2日後の同月14日に日本を出発しました。16日に現地で中澤さんと再会した際は、とても嬉しかったです。数日ぶりとは思えないほど、感動的な再会でした(笑)。
―国際緊急援助隊初となる派遣体制
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山之内 国際緊急援助隊医療チームは、テント型野外病院を設営し、被災した病院と連携しつつ、医療活動を行いました。今回は、国際緊急援助隊初となるType2型の派遣。Type2 型は、外来診療に加えて手術・病棟の機能を含みます。
以前、サモア独立国へ感染症対策チームの1次隊として派遣された際は4人のチームでしたが、今回は1次隊として第1陣から第4陣まで、70名を超えるチームとなりました。大人数体制は初めての経験でしたが、全員で協力しながら活動を続けることができました。
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中澤 約10日間で約800人の方の診療にあたり、問診や診察介助、点滴管理などを行いました。分娩室も用意し、子どもから高齢者まで、さまざまな疾患に対応しました。風邪などの呼吸器疾患や転んでケガをされた方が多かった印象です。
―環境は変わっても普段通りに
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中澤 米盛病院では、日ごろから多くの方を診察すべく注力しており、被災地でもその姿勢で患者さまに接していました。救急搬送された患者さまに対しても、普段と同様に治療にあたっていたところ、初日の夜勤メンバーに選んでいただきました。日々の取り組みを現地で評価していただき、どんなに過酷な環境であっても、やるべきことはいつもと変わらないのだと感じました。
山之内 診療以外に、隊員が安心して活動できるように隊員の健康管理の役割も担いました。体調不良やケガへの対応、声かけなど、米盛病院での管理職としての経験が今回の活動でも活かされたと感じました。
―米盛病院ならでは
山之内 隊員の中には、活動のために派遣を許可してくれる職場に転職された方も。一度に複数の人を派遣することが難しい病院も多いなかで、2人同時に送り出してくれたことに皆さん驚かれていましたね。このような環境は全国でも珍しく、とてもありがたく感じています。
―魔法の言葉 「ティシュクレー」
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中澤 特に苦労したのは、現地の寒さ。夜はマイナス5℃、日中も5℃くらいまでしか気温が上がらず、寒さで資機材が正常に機能しなかったり、眠れなかったりする日もありました。
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山之内 過酷な環境でしたが、現地の方々がとてもフレンドリーに話しかけてくださり、日本から来たと伝えると、どこに行っても一緒に写真を撮ろうと声をかけてくださいました。「ティシュクレー」という言葉を本当にたくさんの方からかけていただきました。これは、トルコ語で「ありがとう」という意味。この言葉が一番の力になりました!
―求められたことを全力で
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山之内 自分が「やりたいこと」をするのではなく、「求められたことに力を尽くすこと」をいつも心がけています。求められていることは何か、どうすればこの場がより良くなるかを考えるようにしています。
中澤 初めての派遣で経験が足りないからこそ、常に「求められたことを全力でやる」という姿勢でいたことが、多くの学びに繋がったと思います。
― 終わりではなく始まり
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中澤 被災地から帰ってきたら終わりではなく、中長期的な支援で何ができるかを考え続けることが大切だと思っています。現地へ行った立場として、活動したことを発信する役割があると感じています。
山之内 後進を育てることも大切ですので、院内研修などを通じて、スタッフの道しるべのような存在になれたらと思っています。10年以上前にトルコを旅行したことがあるのですが、とても素敵な場所でした。ぜひ、復興した姿を見に、トルコを再び訪れたいと思っています。
山之内・中澤 トルコの方はとてもフレンドリーで、食事も美味しく、景色も綺麗。夕日に照らされたモスク、輝く月や星空など、忘れられない美しい風景にたくさん出会いました。トルコへ観光に行くこと、被災地を忘れないことも支援になります。
当法人の公式YouTube チャンネル【米盛病院スマハピチャンネル】では、山之内千絵師長が自身のこれまでの経験をもとに「ナースの国際協力」について語る動画を公開しています。ぜひアクセスしてください。
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