2022.03.04(最終更新日:2022.04.28)
第16回 黒糖焼酎は奄美でしか造れません⁉
米盛病院の非常勤医師であり、焼酎マイスターの資格も持つDr.畑がお届けする鹿児島ならではの焼酎雑学。
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皆様、こんにちは。
新型コロナウイルスが日本に入ってきて、もう2年になりますね。米盛病院非常勤医師の肩書きを持ちながら、実はコロナのせいで、2020年6月以来、一度も米盛病院に非常勤医として勤務できていません。
唯一貢献しているのが、この「焼酎入門」です。皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
今回のテーマは「黒糖焼酎は奄美でしか造れません⁉」です。
昔から黒糖焼酎は奄美で造られていたのか?
さて、年明けから第6波のオミクロン株が猛威を振るっています。旅行や出張などの移動が制限されたこの2年間、我々の生活はさながら「離島に島流し」に遭ったようなものでした。
「島流し」と言えば、皆様、覚えておられるでしょうか? 大河ドラマ「せごどん」でも、西郷さんが奄美に島流しになりましたね。
当時、薩摩藩の支配下にあった奄美には「家人(ヤンチュ)」と呼ばれる奴隷制のような制度があったと聞いています。大変な時代を奄美の皆さんは過ごされていたのですね。大河ドラマの中でも、黒糖が貴重な輸出品として扱われ、薩摩藩の資金源として厳しく取り立てられていたことが描かれていました。
そんな貴重な黒糖を使って、昔から黒糖焼酎は造られていたのでしょうか?答は「否」です。
貴重な資金源である「黒糖」から、焼酎を造るなど許されるわけがありません。昔は奄美でも米から造る泡盛が主であったと聞いています。
では、いつから本格的に黒糖焼酎が造られるようになったのでしょうか?
黒糖焼酎が造られ始めたのは意外と近年!?
黒糖焼酎が造られ始めたのは実はずっと新しく、第二次大戦後になってからと言われています。戦時中から戦後にかけて食料は不足し、特に米不足は重大でした。そんな重要な米から泡盛を造るわけにはいきません。
一方、米軍統治下では日本本土向けに造られた黒糖は販売先を失うことになってしまいました。そこで、奄美の人たちは黒糖からお酒を造るようになったのです。
黒糖焼酎は奄美の宝
しかし、その後もさらに問題が発生しました。
1953年、奄美が本土復帰を果たす際、黒糖から造る「黒糖酒」は同じく黒糖から造る洋酒「ラム酒」と同じ扱いを受け、高い税金をかけられそうになったのです。高額の税をかけられてはたまりません。人々は黒糖酒をなんとか「焼酎」として認めてもらえるように声を上げました。
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その結果、製造工程に「米麹」を加えることでラム酒とは異なるものとし、「黒糖焼酎」として認めてもらうという「特例」を勝ち取ったのです。
しかも、この特例は酒税法上、熊本国税局大島税務署管内(つまり奄美)でのみ認められます。素晴らしいですね。苦難の歴史の末に認められた世界で唯一奄美でしか造ることの出来ないお酒「黒糖焼酎」。
米麹が加わることで、ラム酒とは異なる深い味わいを生み出しています。
皆様、奄美の苦難の歴史に思いを寄せながら、唯一無二のお酒、「黒糖焼酎」を味わってみて下さい。ちなみに黒糖焼酎も蒸留酒なので、当然糖質ゼロです!
次号は「島津斉彬のおかげで焼酎が美味くなった?」です。お楽しみに!

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焼酎マイスター Dr.畑
宇治徳洲会病院 救命救急センター長 / 米盛病院 非常勤医師 畑 倫明
焼酎と温泉をこよなく愛する医師。追求心が強すぎて、好きなだけでは飽き足らず、「温泉ソムリエマスター」に続き、このたび「焼酎マイスター」「焼酎唎酒師」も取得!