2022.05.23(最終更新日:2022.07.04)
第17回 島津斉彬公のおかげで焼酎が美味くなった?
米盛病院の非常勤医師であり、焼酎マイスターの資格も持つDr.畑がお届けする鹿児島ならではの焼酎雑学。
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皆様、こんにちは。宇治徳洲会病院救命救急センター長(兼米盛病院非常勤医師)の畑です。
なんと、「焼酎マイスターDr.畑の焼酎入門」は4年目に突入です。焼酎の話題はまだまだ尽きることはありません。
今回のテーマは「島津斉彬公のおかげで焼酎が美味くなった?」ですが、皆さんはご存じだったでしょうか?
焼酎の歴史に斉彬公が関わっているのはなぜ?
鹿児島大学の焼酎マイスター養成講座では、焼酎の歴史もしっかりと学びます。そこで驚いたのが、焼酎の歴史に斉彬公の命令が大きく関わっていたことです。数年前の大河ドラマ「西郷どん」では、渡辺謙さんが斉彬公でしたね。かっこよかったです。
さて、時は遡って江戸時代。当時、芋から作る焼酎はアルコール濃度が低く品質の良いものではありませんでした。 そこで、斉彬公が「美味しい焼酎を造れ」と命じたのでしょうか? 答は「否」です。焼酎はあくまで庶民のお酒です。殿様が庶民のお酒にまで口出しはしないでしょう。ではなぜ? 実は、アルコールの軍事利用が真の目的でした。
芋から純度の高いアルコールを
遙か昔、鉄砲の火薬に火を付けるのは「火縄」でしたが、19世紀の始め、ヨーロッパで「雷粉」と呼ばれる起爆剤が発見されたのです。雷粉は火を使わず撃鉄を打ち下ろす「衝撃」だけで発火します。天候に関係なく使える画期的な物質ですね。
斉彬公はこれに目をつけたのです。しかし、問題がありました。雷粉の製造工程で純度の高いアルコールが必要となるのです。 当初、「芋」からは純度の高いアルコールは造れず、薩摩藩は「米」を他藩から輸入して純度の高いアルコールを製造していたといいます。それでは、真に薩摩を守っているとは言えません。
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そこで、斉彬公は命じました。「芋から純度の高いアルコールを造れ!」と…。
しかし、残念ながら、斉彬公のご存命中にこのミッションが達成されることはありませんでした。最終的なミッションの達成は明治以降になります。斉彬公の命を守った杜氏たちが、試行錯誤の結果、現在に通じる焼酎製造方法(二次仕込法)を開発し、今日のような品質の良い美味しい焼酎を造り出すことに成功したのです。
美味しい芋焼酎は斉彬公の存在があってこそ
今、私たちの目の前に並ぶ美味しい芋焼酎も斉彬公がなかったら、存在していなかったかもしれません。もし、私があの世へ行って斉彬公に会うことが出来るなら、真新しい焼酎を献上してお礼を申し上げたいと思っています。
先日、私の親しい親戚があの世へ旅立ちました。彼が生前とても大切にしていたものを棺の中に一緒に入れて…。
その日、私は妻にそっと「私の時は、紙パックの焼酎にしてね」と伝えておきました。瓶はダメです。燃えるものでないといけません。斉彬公に持参するのに紙パックは少し安っぽいですが、仕方がないですね。
皆さんなら何を持って旅立ちますか? そんなことをしんみり考えながら飲むのも「だれやめ」(焼酎を飲む晩酌)の楽しみかもしれません。
次号は「無理矢理客を酔いつぶすと主人は大喜び?」です。お楽しみに!

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焼酎マイスター Dr.畑
宇治徳洲会病院 救命救急センター長 / 米盛病院 非常勤医師 畑 倫明
焼酎と温泉をこよなく愛する医師。追求心が強すぎて、好きなだけでは飽き足らず、「温泉ソムリエマスター」に続き、このたび「焼酎マイスター」「焼酎唎酒師」も取得!