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2022.09.08(最終更新日:2022.11.14) Dr.畑の 焼酎入門

第19回 焼酎に関する最古の記述は落書き!?

米盛病院の非常勤医師であり、焼酎マイスターの資格も持つDr.畑がお届けする鹿児島ならではの焼酎雑学。

 

この広報誌「スマハピ」の原稿は、いつも発行の1ヶ月前までに書いています。つまり、1~2ヶ月先の季節を予想して書いているのですが、最近、まさしく一寸先は闇で、1ヶ月先の予想すらつきません。

この原稿を書いているのは8月前半、新型コロナウイルス第7波の真っ最中です。しかも、連日猛暑日。まさに二重苦ですね。今号が皆様のお手もとに届く頃には、この二重苦が治まっていることを心から祈っています。

 

「世界ふしぎ発見」にて

さて、皆様は「世界ふしぎ発見」というテレビ番組をご存じでしょうか。ミステリーハンターが世界の不思議を探しに行くクイズ形式の番組です。

今年の6月にいちき串木野市の「薩摩金山蔵」が大きく取り上げられていましたね。
「薩摩金山蔵」には私も何度か訪れたことがあります。そこでは、かつて金山として繁栄した坑道を使って焼酎を熟成しています。トロッコ列車で訪れる坑道内は年中気温が19℃。暑い日々が続く時期には訪れてみたいところですね。

前置きがすごく長くなってしまいましたが、私がなぜ「世界ふしぎ発見」の話をするかというと、この回のクイズ問題がとんでもなかったのです。私が今回のテーマに上げた「焼酎に関する最古の記述は落書き!?」という話がクイズの問題になっていたのでした。

私が前回の原稿を書いて提出したすぐ後の放送で、「ネタバレ」のようなことをされてしまったのです。正直なところ「まいったなぁ~」という感じでした。しかし、めげずに書きます。

 

落書きが大きな話題になったのはなぜ?

昭和29年、伊佐の郡山八幡神社の解体修理が行われました。その時です。柱の先端に釘付けされ塗り込められていた木片の裏に、ある文章が発見されたのです。

それは、なんと大工さんの落書きでした。その落書きにはご丁寧に、落書きを書いた日付と筆者の名前まで書いてあったのです。その落書きと現代語訳は以下の通りです。

『其時座主ハ大キナこすてをちやりて一度も焼酎ヲ不被下候 何共めいわくな事哉(現代語訳: 社殿修補のとき、座主がたいそうけちで、一度も焼酎を飲ませてくれない。えらい迷惑なことだ!)』

この落書きが発見され、大きな話題となったのは、「焼酎」という文字が、歴史上初めて発見されたということです。
この落書きが書かれたのが、永禄二年(1559年)、なんと桶狭間の戦いの1年前です。このころ、既に鹿児島では焼酎が一般的に飲まれていたことが明らかになりました。本当に昔から、鹿児島の人は呑兵衛だったのですね(笑)。

 

何焼酎を飲んでいたのか?

ところで、ここまでの話だと、「世界ふしぎ発見」と同レベルの内容です。さすがに、もうちょっと深掘りせねば「Dr. 畑の焼酎入門」としては情けない!

そこで、皆様に問題です。

この落書きを後世に書き残した大工は「何焼酎」を飲んでいたのでしょうか?

前田利右衛門によってサツマイモ(唐芋)が薩摩に伝わったのは1705年と言われています。つまり、落書き大工が飲んでいたのは「芋焼酎」ではありえないということです。

 

正解はおそらく「米焼酎」。

1546年、フランシスコ・ザビエルの依頼を受けて、薩摩の山川港を訪れたポルトガル人ジョルジュ(ジョルジェ)・アルバレスという人物が、「薩摩の人は『米から作るオラーカ(焼酎)』を飲んでいる」という記録を残しているのです。

皆様、お分かりいただけたでしょうか? 鹿児島人は、サツマイモが伝来する150年以上前から既に米焼酎を飲んでいたということです。正真正銘の呑兵衛ですね(笑)。

次号は「酵母はいじめればいじめるほど、良い香りを出す!?です。お楽しみに!

 

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焼酎マイスター Dr.畑 

宇治徳洲会病院 救命救急センター長 / 米盛病院 非常勤医師 畑 倫明

焼酎と温泉をこよなく愛する医師。追求心が強すぎて、好きなだけでは飽き足らず、「温泉ソムリエマスター」に続き、このたび「焼酎マイスター」「焼酎唎酒師」も取得!

 

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