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2019.03.27(最終更新日:2019.04.15) INTERVIEW ~気になるあの方にお話聞きました~

映画「あまのがわ」監督 古新 舜さん

人生のパラダイムシフトを起こせる、そんな作品になって欲しい

1月25日公開の映画『あまのがわ』監督の古新舜さんに、作品の見どころや、鹿児島での撮影エピソードなどの話を聞きました。

 

鹿児島での撮影を振り返って

主演の福地桃子さん

 私は岩手県釜石市出身の人間なので、今作「あまのがわ」に携わるまで鹿児島に来るきっかけは、ほとんどありませんでした。天文館って地名を聞いたとき、「プラネタリウム?」なんて思うくらいでしたから(笑)。そこから今回、24回目の訪問(11月5日現在)になりました。おかげさまで、たくさんの方々とお友達になりましたし、天文館の美味しいお店もたくさん教えてもらいました。
 「あまのがわ」の撮影では、スケジュールを組むのが本当に難しかったですね。鹿児島での撮影を予定していた昨年10月は、2度にわたる台風接近などでスケジュールの大幅な変更を余儀なくされ、スケジュールの最後に予定していた、おはら祭と米盛病院さんの撮影からスタートすることになってしまいました。
 米盛病院さんで撮影したシーンは、クライマックスの大事なシーンでもあったため、撮影が始まったばかりのタイミングで、出演者の気持ちとか感情の起伏がうまく表現できるかどうか不安な面がありましたが、病院という緊張感のあるシチュエーションが功を奏し、うまく撮影することができました。また、今回のようにロボットを扱う映画を撮る中で、最新の医療機器を備えた米盛病院さんは、演出家としての視点的に、我ながらすごく作品にマッチするロケーションを選んだなと感じています。
 鹿児島って、いろんな文化や歴史的事象の発祥の地でもあります。そんな場所から、明治維新151年目に自分が撮った映画を公開するというのも、感慨深い思いがあります。

映画のワンシーン

映画監督を志したきっかけ

第31回東京国際映画祭の特別招待作品に選定

 大学院に進み映画の研究室に入りましたが、当初は監督ではなく脚本家を目指していました。学生時代のいじめが原因で引きこもっていた僕は、人とのコミュニケーションがすごく苦手で、俳優さんやスタッフとしゃべらなきゃいけない監督よりも、自分が書いた脚本で誰かに撮ってもらう仕事だったらできるなっていう気持ちがありました。助監督として下積みをしながら「こんな作品があったらみんな感動するんじゃないかな」みたいなことを想像しながら脚本を書きまくっていたのが20代の前半くらいですね。
 僕は基本的に内向的で、一人で黙々と作業することが大好きでしたけれど、映画の現場では精神的に鍛えられました。平日は本業の予備校勤務で先生と呼ばれていましたが、休日や夜になると、必然的に一番下っ端の助監督としてこき使われるわけです。だから映画の現場では僕が早稲田大学卒業だろうが、主席だろうがまったく関係ない。もう雲泥の差でした。予備校では黙っていてもお茶が出てくるわけですから。真逆なことを同時進行でやっていたのが、面白かったですね、こんなに世の中違うのかと(笑)。僕自身は結構そういうことをネガティブに恨む、ということはなく、「面白いな」とか「良い経験をさせてもらえるな」って思える方です。普通ならみんな「ブラック企業だ」なんて逃げ出したりするところですが、僕からしたら「人生ですげえワクワクすることをやらせてもらえている」っていう発想なんです。だから「おまえトロいな」と蹴られたり殴られたりして、まあ本当に辛い経験をしたんですけれど、前向きに助監督を続けることができました。
 そんな時に、映画業界に誘ってくれたプロデューサーから「脚本家になりたいのであれば、映像のことを理解していないと良い文章は書けないぞ」と言われて、初めて15分くらいの短編映画を撮ってみたんです。そうしたらその作品が思いのほか多くの賞をいただきまして。その頃から映画監督への関心が芽生え始めました。

 

東日本大震災が教えてくれたこと

 初めて撮った短編映画での受賞以来、ひたすら“賞狙い”をしていたのが20代中頃でした。幼い頃から両親に、お金や名誉は大事なんだと植え付けられていましたから、なんとか賞を獲って、映画という外れた道に進んだ自分を両親に認めさせようという思いもありました。短編映画の予算は最低でも100万円。塾講師で稼いだお金を年に1回注ぎ込んで作品を撮るということを毎年繰り返していました。20代で1,000万円程使ったと思います。ちなみに昨年話題になった映画「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督は当時の映画祭仲間です。30歳が目前だった僕は「早くメジャー作品を撮りたいな」なんて思いが特に強かったと思います。そんなときに東日本大震災が発生しました。
 その未曾有の大災害は、それまで僕が思い描いていたものと全く違う視点に気づかせてくれました。福島県の南相馬市で2年間ほど、ボランティアとして原発付近の住宅街に入って作業をしました。別に報道の人間でもなかったのですが、「自分自身の目で見ておかなきゃいけない」という思いに駆られたんです。ガイガーカウンター(放射線量計測器)が非常に高い数値になる中で見たものは、馬や牛といった家畜、犬や猫が野放しになった世界でした。そういう人外の世界を知らないまま東京で豊かに生きてきた自分を恥ずかしく思ったのと同時に、自分が知らない世界というものがこんなにもあるんだ、ということをその時理解しました。
 東日本大震災は、僕に「自分がどういう人間でありたいか」「どういう監督でありたいか」ということを考えるきっかけを与えてくれました。そういう意味において、犬猫の殺処分を原案にした『ノー・ヴォイス』(2013年)が自分の長編初監督作品になったのは運命的だなと思っています。

 

「踏み出す勇気」を伝えたい

 『あまのがわ』では映画のモチーフとして、親との葛藤に悩み不登校になる女子高生と、身体に障害がある青年が操る「OriHime(オリヒメ)」というロボットを使いました。描きたかったのは「踏み出す勇気が、自分を変える」ということ。年齢に関係なく“何かをやろうとして踏み出す”ってとても素敵なことだと思いますし、その勇気をこの作品を通じてお伝えできれば幸いです。そして「映画を観て感動しました」以上の、パラダイムシフトを皆さんの人生に起こせるような、そういう作品になって欲しいし、それが感想としてたくさんの方からもらえたならば、僕の中では成功かなと思っています。
 米盛病院さんでの撮影の際は、職員の皆さんに温かく接していただいて本当に感謝しています。特に米盛先生から「病院は怪我を治すことはできるけれども、人の心を治すことはできない。でも映画はその人の心を変えることができる」というお言葉をいただきました。
 今回の作品の中には、さまざまなものがちりばめられているので、ぜひ劇場でご自身の答えを見つけていただいて、日常の生活に役立てていただけると、とても嬉しく思います。

 

映画『あまのがわ』 

祭りの太鼓奏者だった史織は、教育熱心な母親の聡美との葛藤や同級生の自殺によって、心を閉ざしてしまう。そんな日常から逃れるように祖母のいる鹿児島を訪れ、その道中で分身ロボット“OriHime”と出会う…。古新監督の長編映画2作目で、主演は本作が映画初出演&初主演となる哀川翔さんの次女の福地桃子さん。第31回東京国際映画祭「特別招待作品」として選定され、2019年1月、鹿児島より全国拡大公開。

 

古新 舜(Shun Coney)

■映画監督・ストーリーコミュニケーター
■コスモボックス株式会社代表取締役
■一般社団法人分身ロボットコミュニケーション協会副代表理事

早稲田大学理工学部応用物理学科卒業/同大学院国際情報通信研究科修了(国際情報通信修士)/デジタルハリウッド大学大学院デジタルコンテンツ研究科修了(DCM修士)

大手予備校物理科講師を10年務め、現在は映画監督となり、映画を通じてコミュニケーションを育むことをテーマに活動をしている。米国アカデミー賞公認映画祭ショートショートフィルムフェスティバル&アジア/ジャパン部門2年連続入選など、過去の作品でのべ35以上の映画祭で受賞・入賞を果たしている。また、クリエイティブと共に、経営・ICTの活動面でも評価を受け、一般社団法人テレコムサービス協会主催「第3回ビジネスモデル発見&発表会・全国大会」にて「中小企業庁長官賞」を受賞する。

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