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2019.03.26(最終更新日:2019.04.01) 医療のお話

平成30年7月 豪雨災害への派遣経験 ~J-SPEEDの大きな進化~

西日本を中心に甚大な被害をもたらした平成30年7月豪雨災害。 その被災地で救援活動を行った副院長の冨岡医師に話を聞きました。

 

被災地での活動内容は?

  DMATロジスティックチーム(7月10~12日)、日本災害医学会 災害医療コーディネートサポートチーム(7月13~18日)として派遣されました。活動拠点は岡山県保健医療調整本部ならびに「倉敷地域災害保健復興連絡会議”KuraDRO”(クラドロ)」で、主にJ-SPEEDを用いた避難所のサーベイランスを担当しました。

 

DMATロジスティックチームとは?

 まずはDMAT誕生の経緯からお話しします。平成7年に阪神・淡路大震災が発生した際、災害に対応できる、国としての医療チームがまだなく、全国から多くの医師や看護師が被災地に集まったにも関わらず、組織だった行動を取ることができませんでした。その反省からDMATができました。
 災害急性期を担うDMATの活動時間は通常48時間から72時間と決められています。これは”自己完結型”といって、DMATが被災地で資源を消費しないように、医療装備や水・食糧すべてを自前で準備して賄わなければならない為です。
 平成23年に発生した東日本大震災の際は全国から500を超えるDMATが被災地に駆けつけて、さまざまな治療を行ったり、重症患者を搬送したりすることで非常に大きな活躍をしました。ところがこの急性期の3日目(72時間)をピークに、多くのDMATが引き揚げてしまい、後続の医療チームが到着するまでの間、現場で必要な治療を受けられない患者が多数発生してしまいました。これを受けて東日本大震災以降、2次隊、3次隊が派遣されるようになりました。
 DMATロジスティックチームとは、発災直後に被災地に集まるDMATやそれ以外の医療チームをロジスティックスの面からサポートするチームで、DMATなどの災害派遣が豊富な者から選ばれます。私は7月10日から12日まで、このチームの一員として、岡山県庁の保健医療調整本部で医療救護班の管理を任されていました。

 

岡山県庁から倉敷の現場へ

 7月13日からは倉敷市に移動し、日本災害医学会コーディネーションサポートチームとして活動しました。日本災害医学会コーディネーションサポートチームは、DMATが撤収し始める発災の数日後頃から現地に入り、亜急性期から復興期に現地で活動する医療チームのコーディネーションやサポートを行います。平成28年に発生した熊本地震の際には、日本災害医学会コーディネーションサポートチームと阿蘇保健所が中心となって「阿蘇地区保健医療復興連絡会議“ADRO”(アドロ)」が立ち上がり、官民の被災者支援団体のコーディネートを行いました。  私は今回、倉敷市で立ち上がった「倉敷地域災害保健復興連絡会議”KuraDRO”(クラドロ)」で活動にあたりました。KuraDROでは、熊本地震の際のADRO(前述)と同じように、全国から参集したDMATや医療チームの情報を収集して整理し、そして適所に分配するというコーディネートの役割を担いました。そこで大いに役に立ったのが「J-SPEED」です。

 

J-SPEEDとは?

 災害が発生した際には、”サーベイランス”といって「どこでどのような保健医療上の問題が起こっているのか」などの情報を集めて、それらをもとに作戦を立てなければなりません。東日本大震災の際には、多くの医療班が現地に集まりましたが、患者のカルテなどの情報が思うように集約できず、集計に非常に時間がかかってしまいました。そこで日本医師会や日本災害医学会といった関係団体が集まって、災害発生時に患者や避難所の情報を集約するシステムを作ろうと試みました。
 システム開発の参考にしたのは、フィリピン保健省が世界保健機構(WHO)と協力して構築した大災害時サーベイランスシステム「SPEED(Surveillance in Post Extreme Emergencies and Disasters)」です。
 実は平成25年、台風で甚大な被害を受けたフィリピンにJICAの緊急援助隊として派遣されたときに、私と産業医科大学産業生態科学研究所環境疫学研究室の久保達彦先生が、世界中から集まってくる医療チームにこの「SPEED」システムを使ってもらい、統計を取ったところ、非常に良い成績が得られました。これを日本に持ち帰り、久保先生が中心となって、避難所の保健医療情報を収集するサーベイランスシステムとして開発したのが「J-SPEED」です。

 

システムのさらなる進化

 J-SPEEDは前述の通り、災害時に避難所を巡回する医療チームが、避難所ごとの患者数や症状をデータ化して、その情報を集約するシステムのことです。熊本地震の際は、避難所や患者の情報を1枚ずつ紙で集めて一旦持ち帰り、産業医科大学で集計して、翌日改めてその情報を医療チームにフィードバックするというフローでした。今回の運用で大きく進歩したのは、スマートフォンのアプリ「J-SPEED+(プラス)」(画像3)と、集計用のwebシステムが導入されたことによって、情報をリアルタイムで可視化し、その共有に成功したことです。このシステムを使うことによって、医療チームが今どんな患者を診た、というのをリアルタイムで報告することができるようになり、チームとしての作戦が練られるようになりました(画像4)。例えば下痢や嘔吐が多発している避難所に直ちに感染症対策チームを派遣したり、熱中症が多発している地域への医療班派遣を増やしたり、あるいは災害ストレス等により精神的問題が生じた患者がいれば、緊急のメンタルケアとしてDPAT(※1)に行ってもらったり、といった具合です。
 実際に、結膜炎の症状を訴える患者が多い避難所があって、眼科のチームを派遣したら、結膜炎ではなく石灰で目が荒れているようでした。その避難所では皮膚疾患の患者も多かったことから、浸水した自宅に消毒の為の消石灰をまいたことで、目や皮膚が荒れたのではないかと疑い、行政に進言して散布をやめてもらいました。


  • アプリ「J-SPEED+」を使うと、その日に多く発生した症例や患者数、その推移がリアルタイムで一目瞭然。今後ますますその運用に期待が寄せられている

  • 解析用のウェブサイトで地図を開けば、避難所ごとの患者数や、対応する医療チームの状況が一目で分かる

まとめ

 街のいたるところに災害のすさまじさを物語る痕跡が残っていました。特に甚大な被害を被った真備町は、地区全体が水没し、場所によっては住宅の2階まで水に浸かったようです。
 いつもならDMATとして真っ先に駆けつけるところでしたが、今回の活動として、前半はDMATをコーディネートするチーム、後半は避難所の情報を集めるチームで、全体の状況を俯瞰して、作戦を立てるという活動をさせていただきました。一連の活動の中で、J-SPEEDを効果的に運用できたことはとても画期的であり、大きな成果を得られたと思います。また、今後の災害医療の土台作りに携われたのは幸甚の至りです。
 DMATだけではなく、JMAT(※2)、JRAT(※3)などのチームにとって、J-SPEEDは非常に重要なツールです。現在は日本だけの運用となっていますが、このシステムは今後、世界標準になっていくことも予想されます。この日本発のシステムが世界中で活躍することを願ってやみません。

※1:自然災害や集団災害の後、被災地域に入り精神科医療および精神保健活動の支援を行う専門的なチーム
※2:日本医師会が被災地に派遣する医療チーム。避難所等における医療・健康管理活動を中心に行う
※3:災害リハビリテーション支援チーム。被災地に入り適切なリハビリテーション支援を実施する

TOPIC 「平成30年北海道胆振東部地震」でもJ-SPEEDが活躍

「西日本豪雨災害に続き、DMATロジスティックスチームとして現地に派遣されました。DMATというと、被災地に入って、けがをした方や病気になられた方を診療するというイメージをお持ちの方が多いかと思いますが、災害発生直後に発生する可能性がある保険医療上の問題解決のための調整を行うこともまたDMATの業務の一つであり、ロジスティックスチームはその専門集団です。今回も私は“J-SPEED”を使って、避難所の健康状態のモニタリングを行いました。現地はこれから冬に向かいますが、一刻も早い復興を願っています」

冨岡 譲二

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