2021.03.22(最終更新日:2021.04.19)
遠藤保仁選手の高校時代|元鹿児島実業高等学校サッカー部の監督・竹田順数先生に伺う
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地域の輝く方々を米盛病院の広報スタッフが取材。
アツい思いやモットーなどを伺います。
ジュビロ磐田 遠藤 保仁選手へのインタビューに続き、今回は、遠藤選手の高校時代をよく知る「元鹿児島実業高等学校サッカー部の監督・竹田順数先生」に、当時のお話をお伺いしました。
遠藤選手との出会い
ヤット(遠藤選手の愛称)と初めて会ったのは、彼が小学生くらいの頃かな。その当時、ヤットのお兄さんたちも鹿実のサッカー部で活躍していましたから、試合があるたびにご両親と一緒に観戦に来ていたのをよく覚えています。
彼が生まれた桜島はサッカーが盛んな地域で、遠藤家の長男・拓哉(鹿屋体育大学)と二男・彰弘(横浜Fマリノス)、そして三男・ヤットは「遠藤三兄弟」として当時からかなり有名な存在でしたよ。
練習に真摯に取り組む姿
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鹿児島実業高等学校の外観。 遠藤選手の入学年(1995 年)から現在地に移転し、男女共学になった。
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高校時代のヤットは、サッカーの素質は入学当初から誰もが認めるところではありましたが、練習に対して真面目に手を抜かずに取り組んでいたと記憶しています。
彼は、桜島から毎日通学しており、練習は相当きつかったと思います。朝練が終わったら豚汁や炭水化物をしっかり食べるように、という指導が中心の時代でしたが、サッカーに真摯に向き合っているようでした。
高校2年生 ブラジルへ単身サッカー留学に
高校2年生のときに単身でブラジルにサッカー留学に行った頃から、彼が持っていたサッカーに対する知識や技術が開花したのではないかと指導者目線で感じています。学生時代に世界を意識するきっかけを得たことは、彼に大きな影響を与えたのかもしれませんね。
一貫して変わらないのは冷静なプレー。視野の広さが抜群でしたし、そういった感性が生来備わっていたのでしょうね。
あと、話し方も同じように冷静。当時からあまりワーワー言うタイプでもなかったですし、テレビなどで見るまんまだと思います(笑)
自ら考え、モチベーションをどのように上げるか
プロの選手にとって、ケガはつきものだと思いますが、ヤットは高校時代は非常に体が硬かった。その彼が大きなケガもなく、40歳を超えるまで現役を続けていられるのは、よほどの努力をしているからだと思います。
多くの選手を見てきましたが、伸びる選手というのは、挫折しないことではなく、挫折の中でも自ら考えて、自分のモチベーションをどう上げていくかという姿勢に違いがあると思います。
高校時代の練習が支えに
プロの世界で自信をもってプレーできるか否かは、いかに高校時代に粘り強く取り組んだかにもよるのかもしれませんね。「あれだけきつい練習をしたんだから」みたいなね。
少しサッカーから離れますが、当時のサッカー部は、女子生徒からかなりモテていた印 象。本を書け、と言われれば一人一人書けるくらい話は尽きません(笑)
遠藤選手へ贈るメッセージ
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ヤットにメッセージを贈るとすれば、あと現役で何年できるか分からないけど、身体はもっときつくなってくるだろうから、そのケアをしっかりやってほしい。サッカーのことについては我々よりも詳しいし、現役だから言うことはありませんね(笑)
まだまだ現役で頑張ってくれそうだから、その活躍を楽しみにしています。 きばれ、ヤット!

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Profile
鹿児島実業高等学校 竹田 順数 先生
遠藤選手の在籍当時、サッカー部の監督を務めた。現在は女子バレー部の顧問を務める。
米盛病院 広報課スタッフ取材メモ
穏やかな笑顔で当時のエピソードを楽しそうにお話される姿が印象的でした。多くの選手とともに歩んできた竹田先生の想いを感じました。