SmaHapi(スマハピ)まわりの人たちの笑顔のために。緑泉会Webマガジン。

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2020.09.24 米盛病院周辺の歴史をひも解く~よねさんぽ~

新連載!Vol.1 「与次郎」の名前の由来はどこから? の巻

米盛病院周辺の歴史をひも解く新コーナー“よねさんぽ”。
楽しくゆるりとタイムトラベルに出かけましょう!
第1弾は、米盛病院が位置する「鹿児島市与次郎の名前の由来」です。

茂みの中にひっそりと佇む「与次郎ヶ浜の碑」。
散策する際は見落とさないように要チェックです。

変わった地名は全国各地にありますが、改めて考えてみると、与次郎(よじろう)も不思議なネーミングですよね。
読めない漢字ではないけれど、地名というより人の名前のような…。

 かつて、この辺り一帯は海岸が広がっていました。江戸時代後期天保(18301844)の時代、荒田村の百姓「平田与次郎」がこの地に塩田を築いたとされています。

 平田与次郎は、薩摩藩の指示で、塩づくりが盛んな赤穂(※1の塩田を視察し、その経験をいかして塩田の開発に取り組んだとされています。彼が築いた塩田は、なんと10万㎡もの広さ(※2であったとか。

 つまり、この地に塩田をつくりあげた「平田与次郎」にちなんで、「与次郎ヶ浜」と呼ばれるようになったのですね。
そのストーリーを物語る石碑が、米盛病院からほど近い場所に今なお遺されています。

 江戸時代当時、この辺りに広がっていた塩田に思いをはせながら、たまらなく塩おむすびが食べたくなったスタッフでした(笑)

※1:兵庫県赤穂は、今でも「塩の国」と呼ばれ、古来から続く塩づくりのストーリーは2019 年に日本遺産に登録されています。 
※2:例えると東京ドームと阪神甲子園球場を足した位の広さなのだとか。

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鹿児島市与次郎エリアは、ランチ・ディナーにぴったりなお腹もココロも満たしてくれる店舗も盛りだくさん!
グルメな広報課スタッフが文章&撮影まで担当しています。

 

米盛病院 広報課スタッフ取材メモ

ずっと気になっていた「与次郎」の名前の由来。調べる中で、かつて塩田が広がっていたことを初めて知りびっくり!今回の発見に感激し、さっそく第2弾を作成中です。お楽しみに♪