2020.09.24(最終更新日:2020.11.02)
新連載!Vol.1 「与次郎」の名前の由来はどこから? の巻
米盛病院周辺の歴史をひも解く新コーナー“よねさんぽ”。
楽しくゆるりとタイムトラベルに出かけましょう!
第1弾は、米盛病院が位置する「鹿児島市与次郎の名前の由来」です。
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茂みの中にひっそりと佇む「与次郎ヶ浜の碑」。
散策する際は見落とさないように要チェックです。 -
変わった地名は全国各地にありますが、改めて考えてみると、与次郎(よじろう)も不思議なネーミングですよね。
読めない漢字ではないけれど、地名というより人の名前のような…。
かつて、この辺り一帯は海岸が広がっていました。江戸時代後期天保(1830~1844)の時代、荒田村の百姓「平田与次郎」がこの地に塩田を築いたとされています。
平田与次郎は、薩摩藩の指示で、塩づくりが盛んな赤穂(※1)の塩田を視察し、その経験をいかして塩田の開発に取り組んだとされています。彼が築いた塩田は、なんと10万㎡もの広さ(※2)であったとか。
つまり、この地に塩田をつくりあげた「平田与次郎」にちなんで、「与次郎ヶ浜」と呼ばれるようになったのですね。
そのストーリーを物語る石碑が、米盛病院からほど近い場所に今なお遺されています。
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江戸時代当時、この辺りに広がっていた塩田に思いをはせながら、たまらなく塩おむすびが食べたくなったスタッフでした(笑)
※2:例えると東京ドームと阪神甲子園球場を足した位の広さなのだとか。

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鹿児島市与次郎エリアは、ランチ・ディナーにぴったりなお腹もココロも満たしてくれる店舗も盛りだくさん!
グルメな広報課スタッフが文章&撮影まで担当しています。
米盛病院 広報課スタッフ取材メモ
ずっと気になっていた「与次郎」の名前の由来。調べる中で、かつて塩田が広がっていたことを初めて知りびっくり!今回の発見に感激し、さっそく第2弾を作成中です。お楽しみに♪