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2021.02.08(最終更新日:2021.02.22) 米盛病院周辺の歴史をひも解く~よねさんぽ~

Vol.3 昨日の敵は今日の友!?の巻|天保山砲台跡

米盛病院周辺の歴史をひも解く新コーナー“よねさんぽ”。
楽しくゆるりとタイムトラベルに出かけましょう!

対立していた2人が、タッグを組んで困難に挑むとは!
昨年ブームとなった某ドラマに釘付けになっていた私は、予想外の展開に感嘆。まさに、ことわざ「昨日の敵は今日の友」を実感しつつ、思考はすでに江戸時代へタイムスリップ。


1863年72日正午。
天保山に据えられた砲台から轟く号砲。それは、薩摩藩から英国艦船へ発射されたものでした。
前年に起きた「生麦事件」(※1)の賠償金交渉のために鹿児島湾(錦江湾)を訪れた英国艦船は、交渉を優位にしようと薩摩藩の船を奪います。対して薩摩藩は、天保山を皮切りに城下の各砲台から攻撃を開始。これが明治維新のきっかけとされる「薩英戦争」の始まりです。

海に囲まれた薩摩藩は、鎖国時代でも海防意識が高くペリーが来航する3年も前(1850年)から天保山に砲台を築き、訓練を積んでいました。
しかし、英国の最新技術によって、城下は大きな被害を受けます。一方、英国側も想定外の甚大な被害を受け、上陸を断念。両者痛み分けといえる結果になりました。


薩英戦争を通して、お互いの存在を強く意識した薩摩とイギリス。
その後、留学生を派遣して海外の技術を学ばせたり、外交官一行を薩摩でもてなしたりと、一転して友好関係を深めます。

柔軟な姿勢で新たな関係を築いた当時の人々。相手を認め、学び合うことで、あのドラマのように難局を乗り越えることができるのかもしれませんね。

1: 薩摩藩の行列を妨害したとしてイギリス人を斬りつけたことに端を発した事件。神奈川県横浜市武蔵国生麦村で起きた。

 

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グルメな広報課スタッフが文章&撮影まで担当しています。

 

米盛病院 広報課スタッフ取材メモ

天保山砲台跡が遺る鹿児島市の「天保山公園」。松林に囲まれ、目の前には桜島も広がります。
商業施設(フレスポジャングルパーク)のすぐ近くなので、お買い物がてらゆったり散策するのもオススメです♪

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