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2021.04.07(最終更新日:2021.04.07) 米盛病院周辺の歴史をひも解く~よねさんぽ~

Vol.4 坂本龍馬新婚の旅碑|坂本龍馬の銅像がなぜここに!?の巻

米盛病院周辺の歴史をひも解く“よねさんぽ”。
今回Pick upするのは、「坂本龍馬新婚の旅碑」。
楽しくゆるりとタイムトラベルに出かけましょう!

現代でもファンの多い坂本龍馬。
私も、高知県 桂浜公園に佇む龍馬像をいつか見てみたい(カツオも食べたい)と願っているのですが、米盛病院からすぐ近くの場所で彼の銅像を発見!
「なぜこの場所に?」という驚きを胸に今回もタイムトラベルへ。

1896年、薩長同盟を成立させた龍馬は、寺田屋(宿舎)で襲撃をうけ負傷。重傷を負いながらも、伏見薩摩藩邸へ脱出します。
彼の身を心配した西郷隆盛が勧めたのは、鹿児島への湯治旅行。旅には、西郷隆盛や小松帯刀、妻のお龍も同行。これが「日本最初の新婚旅行」といわれています。

大阪を出発した一行は、同年3月10日、船着場である鹿児島 天保山に到着。日当山温泉や塩浸温泉をめぐり、高千穂峰に登ったり、霧島神宮に足を運んだり…。
激動の生涯を歩んだ龍馬にとって、最も平和で穏やかといえる3カ月を過ごし、6月2日、同じく天保山から鹿児島を後にします。
それから約1年半後、龍馬は京都の近江屋で暗殺され、33年の人生に幕を閉じたのでした。

旅のスタート地点だった天保山。
龍馬は旅の出来事を自身の姉へ手紙に綴っています。きっと私たちが旅する時と同じように、いや、それ以上に体験する全てが新鮮だったことでしょう。波瀾の時を駆け抜けた龍馬には、お龍と見た桜島はどう映ったのでしょうか。

彼らが米盛病院周辺を散策していたことを想像すると、なんだか不思議な気持ちに感じます。

 

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米盛病院 広報課スタッフ取材メモ

鹿児島県内には、坂本龍馬とお龍が新婚旅行で訪れたスポットが各所にあります。その旅のスタート地点が、米盛病院からすぐ近くの天保山だったことを知りました! 彼らの旅を想像しながら、当院周辺を歩いてみたいと思います♪

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