SmaHapi(スマハピ)まわりの人たちの笑顔のために。緑泉会Webマガジン。

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2019.03.26 INTERVIEW ~気になるあの方にお話聞きました~

ジャズピアニスト 松本圭使さん

鹿児島を拠点に活躍するジャズピアニスト、松本圭使さん。
国内外で演奏活動を展開する傍ら、
2017年から「鹿児島ジャズフェスティバル」を立ち上げ、地元の文化・芸術を育む活動を積極的に行っています。

 

ジャズとの出会い

米盛病院で定期的に行っているコンサート。患者様やご家族も楽しみにしています。優しいメロディーがロビーに響き渡ります

 ピアノを始めたのは3歳の頃。よく覚えていないのですが、自ら「ピアノをやりたい」と言って始めたらしいです。小学校低学年の時にピアノをやめてサッカー部に入りたいと両親に告げたら、「自分でやると決めたのだから、最後まで続けなさい」と母親に叱られて(笑)。その頃から、ピアノに対して自覚を持つようになりました。
 実家がキリスト教会だったこともあり、中学3年生の頃までクラシックピアノのレッスンと並行して、教会で賛美歌の伴奏もしていました。当時はまだ、ピアノを将来の仕事にしようという程の熱意はなかったですし、レッスンに対してもまじめな生徒ではなかったと思います。
 初めてジャズに出会ったのは中学卒業後。高校の仲間同士で組んだバンドでキーボードを担当していたのですが、あるライブ会場でお客さんから「君はジャズっぽいピアノを弾くんだね」と言われたことがすごく心に刺さって。それまでジャズを全く聴いたことがなかった僕は、とりあえずCDショップのジャズコーナーに行きました。そこで店員さんに薦めてもらったのが、ビル・エヴァンスの「ポートレイト・イン・ジャズ」というCD。その音色のあまりのかっこよさに衝撃を受けたのを覚えています。そこからジャズ一直線という感じですね。
 クラシックピアノを弾いていた自分にとって、バンドのメンバーと一緒に同じ曲を演奏するということは、すごく新鮮で楽しいことでした。一方でバンドの場合どうしてもボーカルやリードギターが目立ちがちで、ピアノは伴奏だけみたいなところがあります。
 ジャズはすごく自由な音楽でありながら、みんなと即興でアンサンブルを作り上げていきます。あとは、目立ちたがり屋の僕からすれば、それぞれの楽器にソロパートが平等にあるのも魅力です(笑)。

 

ニューヨークへのジャズ留学、そして鹿児島へ

 20歳の時に留学したのですが、その前の2年間は鹿児島市内でセミプロとして活動していました。当時は鹿児島が自分の世界の全てでした。そこで、プロとして未来を大きく切り開くための何かを得るために、ニューヨークへの留学を決めました。
 留学先はニュースクール大学。目標としていたジャズピアニスト、ブラッド・メルドーが当時、この大学でマスタークラス(公開レッスン)を開講していたのが選んだ理由です。英語は得意でしたが、やはり最初の3カ月間は、言葉の壁にだいぶ苦しみましたね。家賃の支払いとかで(笑)。
 留学中は、大学で師事する先生にレッスンを受けながら、夜間はライブハウスで地元の若手ミュージシャンらとセッションしたり、語り合ったりしていました。ニューヨークはジャズを聞く人も演奏する人も大勢います。特にお客さんが比較的少ない月曜深夜の時間帯は、プロを目指す学生や仕事を探す若手アーティストの腕試しの場になり、僕もチャージの20ドルを握りしめて毎週のようにライブハウスへ通っていたことを今でもよく覚えています。
 帰国後は、鹿児島を拠点に活動を再開しました。生まれ育った鹿児島が好きだから、というのが一番の理由ですが、インターネットが発達した現代では、どこからでも音楽が世界に発信できますし、東京に一極集中する形で文化が発達していくと、地方の文化がどんどん廃れていってしまうのではないかという思いもあって、あえて鹿児島でできることをやっていこうと思いました。

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