私たちについて

「命と人生に向き合う、専門病院」であるために

米盛病院は、1969年に「米盛整形外科医院」として鹿児島市に開院して以来、整形外科の専門医療機関として地域に根ざした医療に努めてまいりました。
2014年の病院移転を機に、整形外科に加えて救急医療にも注力。
さらには脳神経外科、循環器内科、心臓血管外科といった診療科を拡充したことにより、私たちはより多くの方の人生と向き合うことになりました。
私たちが目指しているのは、「命と人生に向き合う、専門病院」です。

この決断は、
50年超にわたる私どもの歩みの中で、強い決意と覚悟を込めたものです。
私が36歳で病院を受け継ぐにあたり、繰り返し自らに問い続けてきたことがあります。
それは、「鹿児島県の皆さまの役に立てる病院とは何か」ということです。
そして、私たち米盛病院の使命であると確信したのが「救急医療の充実」でした。
鹿児島県は南北約600㎞と広大な上、20を超える有人離島を抱えます。
また、錦江湾によって薩摩半島と大隅半島に分かれており、救急医療にとってさまざまな制約がかかる、特異な地形です。
鹿児島県全体で見ると救急医療の資源は十分とはいえず、人口減や過疎化が進む地域・離島では特に、いざという時に頼れる医療資源が乏しいという現実があります。

一人でも多くの人の命を、人生を、守りたい。
そして、一秒でも早く患者さまの治療を始めたい。
そのために、救急科をはじめ、脳神経外科、循環器内科、心臓血管外科など
診療科を拡充するとともに、医療技術・サービスの質を高めてまいりました。
さらには、ドクターカーや民間救急ヘリ「Red Wing」を導入することで、病院で患者さまを待つだけではなく、現場へ出かけていく医療にも注力してきました。

24時間365日、命を救う専門病院であるため、職員一丸となって研鑽に励んでおります。

「人の命を助けたい」が原点

なぜ整形外科医の私が、ここまで命を救うことにこだわるのか。
それは、今でも心に強く残る医師としての原体験があるからです。
整形外科医としてのキャリアを歩み始めたばかりの頃、骨腫瘍の10代の患者さまが亡くなるという経験をしました。
医師としてできることに限りがあるとはいえ、とても悔しく、葛藤を抱えた日々を送りました。
米盛病院で働き始めてからも、整形外科手術は成功したのに脳出血や心筋梗塞など深刻な合併症が発症してしまう患者さまもいらっしゃいました。
その度に、「この場でもし、心臓や脳の治療ができていれば、命を救うことができたのではないか」という思いを募らせてきました。

一人の医師として、救える命を救いたい。
そして、鹿児島の民間病院として地域に足りないものを補いたい。
この2つの思いが結実したのが、「一秒を救う。一生につなぐ。」
命と人生に向き合うための専門病院の実現だったのです。

米盛だからこそ、できることがある

医療とは、地域の皆さまにとって、命や生活を守るための財産だと考えています。
人口減少や高齢化など時代や環境は変化し、
求められる病院の姿や機能も変わってくるでしょう。
私たちがやりたい医療ではなく、地域の皆さまに必要とされる医療を―。

鹿児島県に暮らす皆さまの暮らしの「いま」と「未来」をみつめ、
米盛病院だからこそ、できること、やらなくてはいけないことを実現していく。
その想いは変わりません。
救急医療や災害医療の充実、地域医療を担う人材の育成など、
今後も変化をいとわず挑戦し続けてまいります。

どんなときでも、頼られる存在であるために

これからも、鹿児島県ひいては南九州の方々の
命と暮らしに寄り添う一番身近な存在であるために。
いつでも、どんなときでも、頼っていただける病院であるために。

社会医療法人緑泉会の各事業所が手を取り合い、
高度な急性期医療から、回復期医療、そして在宅・介護サービスまで、
患者さまお一人おひとりの生活に寄り添っていけるよう努力してまいります。

社会医療法人緑泉会 米盛病院
理事長・院長 米盛公治
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