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2021.06.21(最終更新日:2021.07.29) 米盛病院周辺の歴史をひも解く~よねさんぽ~

Vol.5 太陽橋|橋の名前の由来 の巻

米盛病院周辺の歴史をひも解く“よねさんぽ”。
今回Pick upするのは、「太陽橋」。
楽しくゆるりとタイムトラベルに出かけましょう!

 

橋は1970 年3 月に完成。 太陽国体では、鹿児島市から選手・役員への記念品として、「屋久杉の文鎮・薩摩焼こけし」が贈られました。

例年より早く梅雨に入った鹿児島。雨の日が続き、澄んだ青空と陽射しが恋しい今日この頃です。そんな日々にぴったりな名前のスポットがあります。それが、米盛病院からフレスポジャングルパーク(商業施設)側へ徒歩1分ほど、前号でご紹介した「坂本龍馬新婚の旅碑」そばにある、その名も「太陽橋」です。

橋の両端には、飾りバットと野球ボールをイメージした像が建っています。橋の名前とモニュメントの繋がりを不思議に思われた方、もしくは懐かしく感じた方もいらっしゃるかもしれません。

米盛病院が位置する与次郎ヶ浜一帯は、196772年にかけて大規模な埋め立て工事が行われたエリア。1972年に鹿児島県で開催された第27回国民体育大会に合わせて整備が進められ、メイン会場となった鹿児島県立鴨池陸上競技場も誕生しました。

その国体名が「太陽国体」。全国から約一万九千名の選手・監督が集い、鹿児島県選手団は、男女総合優勝(天皇杯)・女子総合優勝(皇后杯)を獲得しています。

この国体名にちなみ、「太陽橋」という名前が付けられたのですね。

あの頃の熱気に想いを馳せながら空を見ると、雲の切れ目から太陽がちらりと顔をのぞかせ、まるで当時を懐かしんでいるようにも感じられました。

 

 

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米盛病院 広報課スタッフ取材メモ

ずっと気になっていた「太陽橋」の名前の由来。鹿児島で開催された国体名にちなんでいることを知ってから、橋を通る度に当時の熱気に思いをはせるようになりました。
梅雨明けも待ち遠しく思う今日このごろです。

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